2015/1/25

「心医」ということ  短歌

テレビの韓国ドラマで「ホ・ジュン」と「馬医」というのをやっているので、我が家では夫婦でよく観ている。医師の偉さを表わすのは医学の知識の高さでも医術の確かさでもなく、病気に悩む患者の支えとなるようにと考えて治療にあたることだというのが番組の主張である。

要するに、あくまでも患者の立場に立ち患者の不安や迷いを和らげるのが「心医」というものだということである。それを聞いて自然と頭が下がる。患部に手を当てて診ることが「手当」といことばの語源と聞いているが、現実には患部に手を当てることなくパソコン画面や数字のデータを見るだけの若い医師の何と多いことだろうか。

それにしても、韓国ドラマだけでなく日本でも昔からこうして医師や医学に関する題材が取り上げられるのはなぜだろう。思うに、自分自身ではなれない存在であり、憧れの存在でもある医師に対する期待であり、「心医」に巡り合いたいという要望、願望であるのかもしれない。

「知識得て経験積みてなほ学び心の医師を目指す気高さ」

「弱りたる患部に手を当て診察すそれが手当の語源と知れり」

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2015/1/23

目で、鼻で、舌で味わう  短歌

1年くらい前に生駒駅前でこの付近には珍しい本格的なカウンターバーを見つけていたのだが、昨夜は久しぶりにその「チャールストン」に立ち寄り、カクテルと本場のスコッチのオンザロックスを楽しんだ。こういうお店は、オーナーやバーテンとの酒に関するうんちく話が楽しめるので、たまに立ち寄るようにしている。

酒を楽しむ店なので日ごろは壁に掲げられたメニューには目もくれず、バーテンの見つくろいの突き出しだけで飲むのだが、昨夜は少し小腹が空いていたこともあってメニューの一番上にある「大和ポークのカツサンド」を注文した。しばらくして出されたカツサンドはものすごく美味しかった。その感想をバーテンに告げると、それはオーナーのご自慢であり一番の人気メニューであると言う。なるほど、と納得する。

料理と言えば、東京で隔月に開催のHRD研究会ではメンバー同士で読書量を競争しているが、その「メートル読書会」の中で紹介された本のうち、最近は「みをつくし料理帖」というシリーズものにはまっている。著者は高田郁という兵庫県宝塚市生まれの人で、このシリーズのほかにも昨年NHKで10回くらいの連続ドラマになった「銀二貫」などが知られている。

その本の中に「食は天なり」ということばがあった。口から摂るものだけがひとの身体を作る、ひとの命を支えるという意味だそうだ。また、料理というものは目で見て鼻で匂いを嗅いで舌で味わうものだという一節があった。

食材や調理方法で決まる料理そのものが重要な要素であることには疑いがないが、それだけでなく料理をおいしく見せる器や、部屋の調度品、部屋を飾る生け花、料理の盛り付け方、出すタイミングなど、すべての要素がうまく調和してこそ美味しさが際立つということである。

昨夜のカツサンドは、ふとそんなことを思い出さされる味わいであった。私の好きな「チャールストン」が、とあるマンションの2階にある目立たないお店にもかかわらず、常連客を中心にいつも賑わっている秘密のひとつを垣間見た思いがした。分野は多少違っても、「食」の旨さに関する感覚は違わないのだと再認識した。

「ひと手間をかけた料理のおひしさはつくり手による心の見へて」

「鼻で嗅ぎ目で見て舌で味わへば料理の深さ心で感ず」

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2015/1/21

川上哲治というスーパーマネジャー  短歌

年始の特別番組で日本のプロ野球の80年の歴史を変えた人物が紹介されていた。それは川上哲治氏である。それまでの強打者や名投手などの個人技に依存する野球から、勝つことに徹するチームプレーに変革した川上哲治さんの取り組みの歴史を紹介していた。それは名選手としてだけ知っていた川上さんとはまた別の一面であった。

若き日の川上さんは、ある年アメリカのドジャースのキャンプに参加して、練習のやり方から始まって様々な場面に応じた選手のフォーメーションや作戦など、個人技ではなく論理的合理的に考えたチームプレーとしての野球に開眼したそうだ。また、選手自らが考えてプレーすることも目指したのである。

これらの結果があの不倒の日本シリーズV9であり、昨年末に来日した大リーグとの試合での日本の勝ち越しにつながっている。これを成し遂げるためには、川上さんの考え方を具体的な作戦や練習方法にまで落とし込むなどにより下支えしたコーチの牧野茂さんの働きも忘れてはいけない。

あとを継いだ長島さんを引き合いに出すまでもなく、名プレーヤーが必ずしも名マネジャーになれるわけではないことは自明の理だが、川上さんこそは間違いなく名プレーヤーであり同時に名マネジャー、いや名経営者、スーパーマネジャーでもあった。

後にデータ野球、管理野球の権化のように言われた野村克也さんも、「組織はリーダーの能力以上の成果は残せない」ということばを残しているが、その野村さんがお手本にしたのもほかならぬ川上さんであった。個人技ではなく組織力で仕事をする、メンバーの一人ひとりが自分の役割を認識し考えて仕事をするように仕向ける。これぞマネジメントであり、野球だけでなくすべての分野に通じるセオリーである。

「色褪せぬマネジメントの基本とは分野を問はず通ずるものよ」

「在りし日の日本沸かせし名選手 監督として野球育てし」

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2015/1/18

民主党はもう浮かび上がれない  短歌

今日のニュースで民主党の新代表選挙の結果が報じられていた。三人の候補者の中で過半数を超す者がいなかったため上位2名の決戦投票となり、岡田克也元代表が逆転で選出された。

この結果に幻滅したのは決して私だけではないだろう。いったい何のための選挙だったのだろう。こんな無意味な選挙にかける手間や資金の無駄が惜しくてならない。

果たして岡田氏は選出後のスピーチで、阿倍自民党との対決を声高に述べていた。何たることか。いったい誰を見て政治をしようとしているのか?誰のための政治なのか?

少なくとも国民のためというメッセージは伝わってこない。そうではなく自分の党のため、または自分自身のためであることだけは明確にわかる。

国民の期待を一身に受けて民主党政権を任されたのにその期待を裏切ったために次の選挙で惨敗したことを、民主党員や民主党議員はもうすっかり忘れ去ったのだろうか?

国民を舐めてはいけない。国民のほうがちゃんと覚えている。党利党略の政策では国民がついてこないということを心から思い出さないかぎり、民主党の明日はないことを知るべきであろう。

「胸元を過ぎて寒さを忘れたる輩に明日の幸せぞなき」

「国民のための議員であるべきを己れのための政治去るべし」
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2015/1/15

農協の改革がようやく始まる  短歌

政府が今月の通常国会に提出する農業協同組合法改正案の骨格が固まったとの報道があった。

最大のポイントは、全国の農協組織を束ねる全国農業協同組合中央会(JA全中)の指導・監査などの権限を3年で全廃して任意団体に転換することである。これによりJAグループ内でのJA全中の強制力をなくし、地域農協や各農家が農産物の価格やサービス、流通経路を自由に競い合えるようになる。

これにより、消費者も安価で魅力的な商品やサービスを受けられる可能性が高まる。やる気のある農家にとっても、全国画一的で割高なな農協のサービスから離れて、高品質な新商品の開発や輸出の強化に励む意欲が高まる。

たいへん結構なことだが、私に言わせれば遅きに失した感がある。それでも、これまでは選挙の集票マシンである農協の反対を意識していた自民党と政府が改革を決断したのは大きな前進である。背景には、TPP交渉などにより明らかになった、日本の農業を弱体化させたのが農協であるという事実や農協に対する国民の不満を無視できなくなったということがある。

同じような問題は郵便事業についても存在する。インフラが何もなかった明治初期ならいざ知らず、郵便局ネットを上回るサービスを提供できる民間の企業が十分に育った現代では郵便事業を国に任せておく必然性はもうない。

前にも書いたが、100年以上経てばすべての官営事業は見直すことが必要である。そしてその中のいくつかは民営化すべきであろう。その繰り返しこそがサービス向上と事業の活性化につながるのである。

「内向きの既得権への執着はいずれ世界の落伍者となる」

「その昔役割果たしたものでさへ百年経てばすべて見直せ」
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