2014/9/23

歯ブラシの生産地  短歌

旅館やビジネスホテルに泊まると室内の洗面所にはたいてい歯ブラシのセットが置かれていて、その歯みがきは小さなチューブに入っている。

あまりにかわいいチューブなので、どこの製品かと昔から時々確認してみることがある。まさかここまで外国製ではあるまいか、という不安も多少はあるのかもしれない。

小さなチューブに小さく記された文字を読み取ると、かつては愛媛県の今治市の製品が多かったように思われる。ところが最近は、東大阪市などの製品が増えているようだ。

たまたま先日の新聞に、全日本ブラシ工業協同組合の記事があり、見るとその会長は東大阪市の会社の社長であり、国内生産の半分以上のシェアを大阪府が占めていることを知った。

もしかしたら、かつては四国のほうがシェアが高かったのかもしれない。それがいつのころからか大阪に移ってきたのかもしれない、と思った。

そう考えるとどうしようもなく気になってきた。私のこの仮説が正しいのか、またもしそうならその原因は何なのかなど、またぞろ私の好奇心がうづき始めたのである。いずれは突き止めたいと思う。

「世の中の不思議がひとつ解けたればまたぞろ次の謎の現はる」

「世の中の変化を映す名産品 時代と共に産地も替はり」
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2014/9/17

至福の八ヶ岳別荘ライフ  短歌

先週末の3連休は、信州は八ヶ岳山麓の別荘へ出かけてきた。もちろん私の別荘ではない、友人のものである。ただし3人が乗り込んだ車は私のものである。

最近は仕事でも付き合いのある友人と話していた中で、何となく降って湧いたような話であったが、結果から言えば行ってよかったと、心からそう思う。

というのは、まず第一に3日間とも秋晴れの好天に恵まれたことが挙げられる。次には、3名が穏やかな性格でありまた大自然やお酒を愛するという点で共通していたこと、そして何よりもよかったのは、カラッとした秋晴れの中でゆったりと大自然を楽しめたことである。

北八ヶ岳には7月に登山の行き先として訪れたばかりなので、今年は2回目の訪問ということになるが、今回はゆったり滞在型の観光が主体である。

着いた日の夜はカラッとした涼しさのベランダでバーベキューをした。食材はもちろん現地調達である。男3人での食材買い出しは初めての経験かもしれないが、意外に楽しいものであった。

翌日はお決まりのコースで、白樺湖や霧ヶ峰高原を経て諏訪湖まで回った。諏訪湖では、有名な間欠泉や、その向かいにあり森光子のCMで全国的に知られているあの味噌メーカーの本社工場にも立ち寄り、減塩味噌を土産に買った。

天候が一番よかった三日めには、北八ヶ岳ロープウェイで2200メートルまで登った。そこからは槍ヶ岳や穂高岳など北アルプスのほぼすべてや、乗鞍岳、御岳山、中央アルプス、南アルプスなどが一望できた。

同じ行き先でも、季節や時間の使い方が違えばこんなに印象や感動が違うものかと痛感した。まさに至福の時とはこういう時のことを言うのだろうと感じた。

「初めての八ヶ岳なる別荘に上弦の月残れる朝よ」

「はつ秋に今年二度めの八ヶ岳 空気のうまさ心にしみて」

「雲ひとつなきはつ秋の八ヶ岳その中腹の別荘の朝」
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2014/9/10

オルフェウス方式ナウ  短歌

先週末は東京で人材育成の異業種交流会である「HRD研究会」に出席してきた。この研究会は今回で28回を数えるが、大体2ヵ月に1回くらいのペースなので開始からは5年あまり経過したことになる。

研究テーマは技術進歩や環境変化の激しい21世紀のこの時代にふさわしい職場リーダーのあり方と育成のあり方である。我々はそれを「ダイバーシティ時代の職場リーダー」と呼んでいる。

この研究会の特徴は、会長を置かず、会則を作らない点である。それは指揮者のいないオーケストラとして有名なアメリカのオルフェウス交響楽団にあやかって「オルフェウス方式」と名づけている。

メンバーは、外資系語学教育会社の営業担当役員から人材育成会社を起業した女性や、最大手通信サービス企業の研修部長や、ハローワークの女性上席指導官、大手銀行系シンクタンクの女性コンサルタント、最大手リース企業の元人事課長で人事コンサルタント兼大学講師との男性など多彩である。

何冊もの専門書とも格闘しながら、我々の研究もようやく先が見えてきた。数回にわたる分担作業の結果、先週の研究会では三章から成る報告書の原稿が姿を現わしたのである。

今後はこの報告書を携えていくつかの企業の人事責任者や、参考にさせていただいた専門書の著者を訪問して意見交換しながら報告書の完成度を上げていく予定である。

オルフェウス方式は、高い志や目標を共有するだけでなく、それを実現できるだけの専門能力がなければ成り立たない。この研究会のオルフェウス方式は着実に成長し成果を挙げつつある。

「それぞれの専門性を携へて一つの夢に集ふ我らよ」

「いくつかの紆余曲折を経ながらも所期の目的極めて止まん」
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2014/9/2

431年目の真実  短歌

すごい本に出会った。明智憲三郎の書いた「本能寺の変ー431年目の真実」である。名前からもわかるように、著者は明智光秀の末裔である。この本は430年前の発生の直後から伝えられてきたあの本能寺の変にまつわる様々な定説を根底から覆すものであり、書籍として興味深いだけでなく歴史書としても価値のあるものである。

彼が覆した事実はいくつもあるが、例えば光秀が愛宕神社で催した連歌の会で詠んだ歌とされる「ときは今雨がした知る五月かな」は間違いで、「ときは今雨が下なる五月かな」が正しいのである。それは明智氏の源流である土岐氏の凋落ぶりが甚だしい状態を嘆いたものである。そして2句目の愛宕山威徳院院主の行祐の脇句も連歌師の紹巴の3句目も、それぞれ光秀の嘆きをなだめると共に激励し、世の中が平らかになることを望んでいるものである。これらのことを著者は数々の文献を比較検討し分析して明らかにしているのである。

それだけではない。こういう緻密な調査と分析を通して著者は、本能寺の変は実は信長が家康を安心させて本能寺におびき出し殺そうとした計画を、それを密かに命じられていた光秀が横取りして実行したものであると断定しているのである。その理由は、光秀が親しかった四国の長宗我部氏を支援することと、自分の手で戦乱のない世の中をつくりたかったためであるとしている。しかも光秀から相談を受けて知っていた家康も予め伊賀者を味方につけていたために、堺から比較的安全に三河まで逃げられたのである。

何とまあ、これまでの定説を真っ向からひっくり返す説ではないか。しかしながら、そう考えるとこれまでの定説では説明のつかなかったいくつかのことの説明がつくのである。しかも最近になって、この説を裏づける文書が見つかったとされている。従って恐らくはこの説こそが真実らしいのである。これがこの本のすごいところである。

ではなぜこれまでの定説ができあがったかと言うと、秀吉が自分の天下を確定させ正当化するために事変後すぐに出した「惟任退治記」に、当然ながら自分に都合のいいように書かせたものが、江戸時代になって流行った講談によりさらに面白おかしく誇張して伝わったためである。

読んでいて、次々と納得できる点が見つかるこの本は絶対お奨めのすごい一冊である。

「不明なり歴史の中の真実は勝者によりて創られしゆへに」

「光秀の願ひ虚しき本能寺 四百年を経て明らかに」

「四百年を経て明らかに本能寺 変の企ては信長なりと」
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