2014/6/28

「見切り」について思うこと  短歌

最近「見切り」ということを考えることが時々ある。見切りというのは、剣術などで相手の剣先が自分の身体に当たるか当たらないかを瞬時に判断できることをいう。

熟練者は自分の身体の一寸(約3センチ)くらいまでを見切ることができ、それより少しでも離れていたら全く身体を動かさずに相手の刀をよけることができるそうである。

これが気になり始めたのは、最近よく読む時代小説の影響かもしれない。また梅田などの繁華街、特に地下街で歩行者同士がすれ違うときにも見切りということを考えることがある。

昔は誰もがみごとに互いの動きを見切ってスムーズに行き違えていたように感ずる。ところが最近は、地下街で歩いていてぶつかりそうになることや実際にぶつかることが増えた気がする。これはどんな理由によるものだろうか。

一つには現代人には自己中心の人が増えたことがあるかもしれない。しかしながらそれだけとは思えないくらい見切りの下手な人が増えているのである。

見切りが一つの技術であるかぎりはそこには一定の鍛練や練習、そしてある程度の体力やも必要かもしれない。言わばそういう技を磨く気力や体力が現代人には不足してきたのかもしれない。

「すれ違ふ人の見切りの腕前に現代人の体力憂ふ」

「最近の人の見切りの下手なのは自己中心の気風のせゐか」


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タグ: 見切り 剣道 歩き方

2014/6/25

電車の乗車位置  短歌

同じ電車を利用していると、ついついいつもと同じ車両の同じドアから乗降している自分に気づくことがある。

一つには、駅の階段に近い車両やドアの近くに乗車したいからであり、また特に乗り換えに便利なように前寄りか後寄りかを考えて車両やドアを選んでいる、という側面がある。つまりは効率性の点からそういう行動をとっているのだろう。

もう一つは、人間としての習慣、習性というものがいつもとは違う行動を無意識のうちに避けているのかもしれない。知らず知らずのうちにいつもと同じ車両を利用しているのである。それは一つのこだわりなのかもしれない。

ところがその習慣を一部でもいいからちょっと変えてみると、世界が変わったと思うくらいの変化を感じることがある。いつもとは違う車両に乗る、いつもとは違うドアから乗る、駅ではいつもとは違う出口を使う、いつもより一つ手前の駅で降りて歩く、などである。

意識的に非日常を演出してみると何かが変わるし、何かを見つけることもあるし、新鮮な気持ちを感じることができるのではないだろうか。そんなことを考えながら、今日はわざとひと駅手前で降りて目的地まで歩いている私がいた。

「毎日の繰り返したる行動もひとつひねれば新鮮を呼ぶ」

「我れ知らず同じ行動繰り返す裏にあるのは意識のマンネリ」

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2014/6/22

認められることのありがたさ  短歌

4年前から京都のある大手企業で「キャリアマネジメント研修」という研修を続けて担当させていただいている。50才を迎えた社員を対象に、定年後の仕事や生活を展望してもらいその上で定年までの会社生活をどう過ごすか、を考えてもらう研修である。

内容は同じでも、いわゆる「追い出し部屋」でもこれによく似た研修が行われている企業もあるらしく、2日間の研修の冒頭では受講生の緊張した顔つきが印象的である。しかしながらそれを少しずつ揉みほぐしながら研修を進めていくうちに約20名の受講生達の顔つきは真剣そのものになってくる。

4年前は私は2人制の講師のサブ的役割をしていたのだが、2年目からは半分以上の回数をメイン講師として任されることになった。それでもその企業の人事担当者、特に実質的な責任者である女性の主任さんからはなかなか信頼が得られず、毎回のように厳しい指摘と注文を与えられてきた。どうやら社内でも、その女性の意見は強烈で、課長や部長でもタジタジとなっているようである。

ところが昨年あたりからは、どうもその雲行きが変化してきたようで、私のやることに対して施主である企業側からは注文はあるがクレームはなくなってきたのである。そして今年の3回目である先週の研修が終わった後のいつもの反省会の最後の時に、担当の課長さんから一通のメッセージを受け取った。それは先ほどまでそこにいて途中で帰社したかの女性主任からのメッセージだった。

覚悟を決めてドキドキしながら読んでみると、そこには何と私のやった改善点や努力に対する評価だけでなく、感謝のことばまでぎっしりとちりばめられているではないか。それを預かってくれていた顧客企業の課長さんは私の表情を見ながらニコニコと笑っているばかりであった。彼らもそのメッセージと同じ評価をしてくれていることは自明の理であった。

確かに、私は少しでもクオリティの高い研修をお届けしようと自分なりの精いっぱいの努力と工夫を重ねてきたのは事実である。しかしながらそれがこんな形で関係者から認めてもらえていたことを知るとは思いもよらなかったので、余計にそれがありがたかった。「お天道様は見ている」。年がいもなく瞼を潤ませながら、そのことばをしみじみと思い出した瞬間であった。

「目の前に誰かがゐようとるゐるまいと正しきことをなせばよきかな」

「本当の顧客のために精いっぱいやればどこかで見られてゐると」

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2014/6/19

弱みを強みに変える  短歌

今日の新聞に大阪府南部の泉州地区に外国人観光客を呼び込む取り組みが紹介されていた。格安航空会社(LCC)の就航などにより来日する外国人は増えているが素通りとなっている観光客を地元に立ち寄るようにするのが目的である。

関空には、LCCが発着する第2ターミナルとエアロプラザを結ぶバス乗り場近くに外国人が目立つ一角があるそうだ。「大阪泉州まるわかりプラザ」という観光案内所である。

ここには、グルメや見どころを紹介する英語・中国語・韓国語のガイドブックが備えられているし、タオルや和菓子など泉州の特産品も約200点販売されている。さらには、桜のきれいな場所や食事ができる魚市場、といった具体的な案内もしている。

このほかにも、主な行き先以外に予定を決めずに来日する訪日リピーター向けには、大阪湾クルージングと漁業体験や、仁徳天皇陵を含めた歴史スポット巡りなど、半日から1泊2日など15の観光モデルコースも定めたのである。

言うまでもなく、これは泉州を単なる通過点でなく目的地にする試みである。今後は、外国人にも人気の高い日本酒の酒蔵見学や温泉体験などのコースも充実させるらしい。

言い換えれば、これは弱みを強みに変える取り組みに他ならない。他責にして愚痴ばかり言う風潮が強いなかで、見上げた挑戦姿勢ではないか。思わず応援したくなったのは決して私一人ではあるまい。

「ひと目には弱みと見ゆるところとて見方変へれば強みと成せる」

「己れには救いやうなき弱みとて他人(ひと)から見れば強みとなるも」


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2014/6/15

群馬県、そして高崎という町  短歌

先日は所属している短歌の会の全国大会のため、高崎市を訪れた。高崎市も群馬県も通過したことはあるが、旅先とするのは初めてのことである。

まず群馬県の人口はほぼ200万人で、最近の数年間こそわずかに減っているが、戦後以来ずっと増え続けてきたらしく、この30年間で2倍くらいに増えたそうだ。先ずこれは知らなかった。

高崎市は交通の要衝である。鉄道は東京や長野、東北など各地への乗換駅であるし、高速道路ほか主要道路の交差点でもある。特に東京駅から長野新幹線で50分の距離であることは驚きであった。

また政治家では、中曽根康弘、小渕恵三、福田赳夫、福田康夫など、総理大臣を4名も輩出している。

さらには土屋文明、などの歌人や詩人など文人もたくさん輩出していることを知った。

海に接していない内陸部である群馬県には日本100名山のうち赤城山など4座が県内にあり、浅間山など隣接県との境界に位置するものも含めると11座もあることも特筆に値する。

初めて訪れる町には知らないことが多いし、感心させられることも多いものである。

「上州の名物問はば空っ風、総理、文人、かかあの天下」

「上州の伊香保の宿に泊まり来て相馬御風の偉徳を偲ぶ」
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