2014/3/28

コーラス花の早慶戦  短歌

先日は新大阪のメルパルクホールで開催された「コーラス花の早慶戦」を鑑賞してきた。出演は慶應ワグネル関西OB合唱団90名と大阪稲門グリークラブ60名の面々である。大阪稲門会の幹事長をしているIさんが私の友人であることからこの催しのことを知りチケットを購入して家内と2人で出かけたものである。

今回で第4回というこの早慶戦は、かつて何度か開催されていた東西4大学OB有志によるファミリーコンサートシリーズが1998年に幕を閉じたことを惜しむ人達によって、2002年9月に大阪で第1回が開催されたものである。以降、2010年に第2回が、そして2012年には広島で第3回が開かれ、今回につながっている。そして今年の9月には大震災からの復興を祈念した第5回を盛岡市で開催するそうである。

第1回会場の大阪国際交流センターの大ホールは左右に二分され、上手側(3塁側)を慶應席、下手側(1塁側)を早稲田席として、神宮球場を思い浮かべる状況を作ったそうで、今回の会場も同様の設定がなされていた。私達はチケットを買ったのが早稲田OBからだったので、早稲田席のほうの指定席に着席した。

私がこのイベントに興味を持った理由の一つには、早稲田の校歌「都の西北」の作詞者が同行OBの相馬御風(そうまぎょふう)であり、当然この歌が聞けると考えたからである。私が属する短歌の同人「木かげ会」は相馬御風師を慕って結成された結社である。明治40年に創られたこの歌は果たしてコンサートの冒頭部で朗々と歌われた。曲目は、両校の校歌のほかに、東京6大学における早慶戦を讃えた「早慶讃歌」、慶應の応援歌「若き血」、早稲田の応援歌「紺碧の空」など数曲のほか、いくつかの組曲なども披露された。

メンバーの最高齢は90才の大ベテランで、最若手は今年卒業したばかりの22才という幅の広さも興味深い点であった。一方の客席のほうもその多くは中高年層で、中でも我々と同じ団塊世代が多いと感じられたが、女性客も結構多く半数近くを占めているように思われた。

私自身は学生時代を東京では過ごしていないが、東京の、特に6大学と呼ばれる大学の卒業生の人達にはこういう独特の世界もあるのだなあとつくづく感じた次第である。

「大阪の『花のコーラス早慶戦』早稲田の校歌に御風師しのぶ」

「団塊の人らこぞりて肩を組む歌声既に若き日の顔」

「早慶の応援合戦さながらに元若人の歌声高く」

「若き日の思ひ出たどる歌声に客席までも舞台と化して」

「友と聴く有名校の応援歌 感動・羨望 混ざり涙す」

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2014/3/24

ある小学校のグループ登校に思う  短歌

先日、ドック健診を受けるために守口市の健診センターまで出かけたところ、たまたま小学生達のグループ登校の列を見かけた。私と同じ方向に歩いているのは10名くらいのグループで、先頭で一番背の高い男の子なのは多分彼が一番上級生なのであろう。列の最後には母親と思しき女性がピタリとついて見守っている。

きちんと1列縦隊になっており、なかなか行儀のいい子供達だなあと思いながらしばらくそのあとを歩いていたら、小学校の手前あたりで前方から同じように5〜6名の列がこちらへ歩いてくるのが見えた。このグループもきちんと1列縦隊で歩いている。

狭い道なのだが、道の左端を歩いていた私の前のグループは、その道を右側へ斜めに渡るのではなく、一旦立ち止まってから90度に折れてきちんと道を渡り校門をくぐって行く。前方からのグループも同様に校門の前で90度に折れ、正面から校門をくぐって行く。校門を入るときには、どちらのグループも迎えの先生に向かって「おはようございます」の元気な挨拶を送っている。

たったそれだけのことなのだが、その整然とした行動に私はある種の感動を覚えた。毎日のことであり、もちろん大人達から教えられたことだから彼ら自身にとっては何でもない行動なのかもしれないが、上級生がその責任をきちんと果たし、下級生がそれに従って整然と登校しているさまは見ていてたいへん清々しい印象を受けるほどのものであった。

子供というものは、このようにしてリーダーシップやルールというものを学んでいくのかもしれない。また最初にきちんと教えておけば子供達だけでも十分に整然とした行動がとれるものであろう。こういう行動がとれているかぎり、昨今よく聞く子供に対する犯罪を起こすような輩の入り込む隙は与えないだろうと思われた。結局は、自分を守るのは自分達自身であるのだということを改めて感じさせられた。

「今どきの小学生の登校はグループを成し整然と行く」

「学校へ向かふ生徒の先頭の最も背高は六年生か」
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2014/3/20

童話を2冊いただきました  短歌

先日、高校時代の担任の先生から1冊の童話を頂戴した。それは「ノラベエ、シロチャコのなが〜い旅」(丸善)という題名である。それは、野良犬のノラベエと飼い猫のシロチャコが、ふとしたことから神戸を出航する直前のクイーンエリザベス2世号に乗り込んだところ、うっかりと寝ている間に船が出航してしまい、もののついでに長期間かけてロンドンまで旅をするという物語である。

著者はいかにも社会科の先生らしく、ロンドンまでのあちこちの港や国でその土地の地理や名産品や歴史について紹介しながら、2匹の冒険や失敗やそして各地での人々とのふれあいや人情についても触れて話を進めていく。中でも、旅の途中で知り合った身軽なサルの名前が「カサブランコ」であったり、アテネで出会ったソクラテスの子孫がクラいのを嫌って「ソアカルテス」と改名していたりと、登場人物につけられた名前がひと工夫されていて面白かった。

実はこの本は、著者が若いころ(今は大学で教員をしている長女が幼いころ)に風呂に入れながら話して聞かせた物語を思い出して18年前に出版したものである。ということは著者が54才ころだから、まだ和歌山県の教育長になる前のことであろう。もしかしたら長女が大学を卒業したころその記念に出版したのかもしれない。

その数日後、自宅のポストに、近所に住む大学の先輩から1冊の本が届けられていた。それは「進め!夢に向かって」という題名の400ページにも及ぶ大作である。副題は「人生をかえる20のこと」となっていて、「夢」や「志」、「仁・智・勇」、「信」、「礼」など、20の漢字とその意味を通じて人のあるべき姿について、お祖父ちゃんが自分の孫に語って聞かせ考えさせるという形式をとっている。

内容的には小学生向けの「ジュニア偏」と中学生・高校生向けの「シニア偏」で構成されている。著者は現在も出身大学の野球部の総監督をボランティアで担当しておられるが、野球の指導を通じて感じたことを集大成されたのであろう。2020年のオリンピックを迎える若者達に対して、スポーツマンらしく正々堂々として公平な人を目指してほしい、との著者の思いが綴られているなかなかの力作である。

同じ時期に、期せずして2冊の童話をいただいたことになる。それらは我々の孫やその後の世代に、このように生きてもらいたいというメッセージなのだと思った。私もそろそろ、自分なりの童話でも書いてみようかという気にさせられたものである。

「今どきの若者達に伝へたきことを童話にまとめる人ら」

「年老ゐてやるべきことのひとつなりあるべき姿伝へる努力」


  いただいた童話2冊
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2014/3/15

横山岳で雪と戯れる  短歌

3月も半ばとなった先日、友人3名と滋賀県の横山岳に登ってきた。いや正確に言えば雪遊び、雪歩きに行ってきたというべきかもしれない。

この山は標高は1130mくらいでそれほど高くはないが、何しろ福井県との県境に近いため近畿の中ではまるで雪国の風情である。だからこそ我々は各々この日のためにスノーシューや和かんじきを買い、今や遅しと当日を待ちわびていたのである。

JR木ノ本駅からタクシーで約30分、登山口に向かうが、道路状態がよくないためその少し手前で降ろされた。登山口からは早速アイゼンを着けて歩き始める。なかなかの急勾配である。しかし積雪時は必ずしも登山道に沿って歩かずともよく、適当な斜面を好き勝手に歩けるというメリットがある。

積雪量は大体50cmというところか。久しぶりの白銀世界に皆わいわい騒ぎながら登って行く。雪の深さが増してきたので、途中からはアイゼンの下に和かんじきを装着する。和かんじきは初体験だが、それほど違和感はない。深雪でも足が沈まずにサクサクと快適に歩ける。平日のせいもあって我々の前にも後にも誰も歩いていないのがなおさらありがたい。

登山口までは大阪駅からでも3時間半以上要するため登り始めるのがどうしても10時過ぎになるので、この日も結局は山頂まで行くのはあきらめた。しかしながら雪遊び、雪歩きという所期の目的は果たせたので満足感は大きい。またスノーシューは登りには強いが降りでは滑りやすく歩きにくい、和かんじきは登りにも降りにも強いということがわかるなど収穫はあったし、我ながら童心に帰った楽しい一日であった。

「雪山を歩きなむいざかんじきを履きて湖北の横山をゆく」

「雪原を慣れぬかんじき履きてゆく一歩一歩の重たきことよ」
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2014/3/10

キャメロン・ハイランドという楽園  短歌

マレーシアという国は赤道直下のいわゆる常夏の国だが、今回の旅行では首都クアラルンプールから150キロくらい北のキャメロン・ハイランドという高原のリゾート地も訪れた。

そこは標高1500mくらいだからちょうど信州の上高地と同じくらいの高原のリゾート地で、今から130年くらい前にキャメロンというイギリス人の国土調査官によって開拓されたところである。

年中20℃〜25℃と涼しい気候であるため、高原野菜や茶葉の産地として有名で、特に紅茶ではマレーシア最大の産地である。半日ツアーで実際に茶畑を見に出かけたが、それは広大なものであった。

キャメロン・ハイランドには普通のホテルの他に長期滞在型のアパートもたくさんあり、日本人をはじめ外国人の長期滞在者が増えているようだ。

クアラルンプールからバスで4〜5時間かかるものの、常に蒸し暑いこの国の中にあってはまさに楽園と言ってもおかしくない。キャメロン・ハイランドは今後ますます脚光を浴びることは間違いないだろう。

「常夏の国の古都なるマラッカは二月といへど風暖かし」

「はろばろとマラッカに来て海峡の風に吹かれてザビエル偲ぶ」

「常夏のマレーシアなるキャメロンの高原なれば涼風ぞ吹く」


 広大な紅茶畑が広がっている標高1500mの爽やかな高原
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 こんなツアーカーで標高2000mの山まで連れて行ってくれる
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