2013/5/30

官民のサービスの違いの一例  短歌

先日、あるセミナーの受講料を振り込むために郵便局(ゆうちょ銀行)まで出かけた。通常は近くのATMから通帳やキャッシュカードを使って振り込むのだが、今回は自分の氏名の前にセミナー番号6ケタを入力する必要があったので、郵便局まで出かけたのである。

セミナー番号の入力についてはATMでも氏名入力画面で「英数」ボタンを押せば入力できることは教えてもらえてわかったのだが、困ったことに、他行口座への現金での振込みについてはATMでも窓口でもできないと言われた。仕方ないので、自宅への帰路にある地方銀行の支店でダメ元のつもりで試してみたら、そこでは現金での振り込みはもちろんセミナー番号の入力も何らの問題なくできたのである。

他行口座への現金での振り込みができないというゆうちょ銀行のルールは、一体何からきているのであろうか。こんな不便なことが顧客サービスからということはあり得ないし、現金を引き出そうというのでなく逆に振り込もうとするのだから犯罪防止などセキュリティの観点もなさそうである。となれば誰のために、また何のためにそういうルールを決め一般銀行との違いを生んでいるのだろうか。

私なりによく考えてみたが、結局はその理由は不明である。思いつくところでは、それはシステムの不完全さか、あるいは何らかの犯罪につながった場合のゆうちょ銀行側の責任逃れのためとしか考えられない。いずれにしても、現状は極めて不便であるし不可解で不愉快である。何らかの早急な改善を望みたいところであるが、何かにつけ悪い意味でのお役所体質の郵便局には期待できそうにない。

小泉首相の時期にせっかく郵政民営化まで実現できたのに、亀井氏その他の郵政族議員の反転攻勢に遭って元の木阿弥になってしまった。民営化になった時も元に戻った時にも国民の税金が無駄に使われたのである。その結果といえば上記のように顧客不在、サービス感覚ゼロの殿様商売である。今一度、本格的な民営化を果たすしか改善の余地はないのではあるまいか。

「この国の役所はどこを向きたるか顧客に背を向け平然とせり」

「お役所のサービス業務はすべからく民営化にて改善進まん」
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2013/5/26

日本人は平和ボケし過ぎていないか  短歌

茨城県東海村の加速器実験施設で放射性物質が漏れた事故が発生した。ニュースによれば、関係者の判断ミスがいくつも重なって多くの被爆者が発生したそうだ。

それにしても、日本原子力研究開発機構などによる発表では、またもや「想定外」という説明がされているのを新聞記事で知り唖然とした。万が一何らかの事故がおきたら想像を絶する大事故となるリスクを抱える事業をやりながら「想定外」などあってはいけないのである。

福島県の原発事故の際も東電関係者がしばしば使った「想定外」だが、彼らの思考の構造がどうなっているのか全く理解ができないし、その無責任さには呆れ返るばかりである。

また一方では、全日本柔道連盟の七十代の理事による女性選手へのセクハラの記事も報道されている。これも信じられない事件である。暴力事件とその対応を見ても、日本の柔道界は腐りきっているとしか思えない。

一体、日本人の常識はどうなったのであろうか。貧すれば鈍するというのか、これでは経済の停滞からもお粗末な外交からも脱出できないのではないかと、絶望的な気持ちになってしまう。

平和ボケとも思えるこのていたらくでは世界各国から相手にされないだけである。日本という国の様々な制度や仕組みを総点検すると共に、日本人の常識についても総点検し再教育することが必要なのかもしれない。

「テレビでは学芸会やお笑ひの身内の話題はびこり過ぎて」

「何ごとも過ぎたるものに値打ちなしまして平和にボケたる身には」
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2013/5/19

声の大きい人は好きだが、大きすぎる人は嫌いだ  短歌

世の中には声の大きい人は多い。しかしながら、常に大きい人と、よほど嬉しいことがあった時やお酒を飲んだ時などに限って大きい声を出す人がいるように思う。

前者の中には耳が遠いためどうしても声が大きくなる人もいる。この人と前段での後者の人は許せるが、前者の人はどうも好きにはなれない。

また一般的には声の大きいことは元気のよさを象徴することなので自他共に結構なことなのだが、大きすぎることは必ずしもいいことだとは思えない。

言うまでもなく、人は一人で生活しているわけでも生きているわけでもないから、傍若無人な振る舞いはおよそ理性のある常識人なら誰でもわかるはずである。

いくら内容が素晴らしいものであっても、相手の都合や状況を斟酌せずマイペースで押し付けがましいのは許せないのである。またそういう、ある種の感情のゆがみやひずみは周りにも伝播しやすい。これも許されることではない。

ところが、世の中にはそのことに気づかずに自分自身の都合でグイグイと押し付けてくる人がいるものである。何ごともバランスが大切だということであろう。私自身も心せねばならない。

「何ごともほどほどたるのゆかしさを心地よしとは日本人吾れ」

「大声で常に語れる人々の心のひずみ周りにうつり」
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2013/5/16

万葉学びの会  短歌

生駒市の広報紙に万葉学びの会のバス旅行の案内が出ていたので、参加してみた。生駒市にあるこの会では毎月1回のペースで会合を持ち、年に1回は今回のようなバス旅行を計画しているそうだ。

今回のテーマは悲運の皇子とも言われる「有間の皇子」のゆかりの土地を訪ねるバス旅行であった。有間の皇子は、640年に孝徳天皇の皇子として生まれ、その後大化の改新を成し遂げた中大兄皇子(のちの天智天皇)との皇位継承問題に巻き込まれて658年に数えの19歳で絞首刑に処せられたという悲運を負っている。

その舞台となったのが、南紀(和歌山県の南部)にある南部町の岩代と、紀北(和歌山県の北部)にある海南市の藤白であり、それぞれの場所で詠まれたという次の二首は極めて有名である。私は和歌山出身なので、この歌は何となく覚えてはいたが、その歌が詠まれた場所に行くのは初めてのことである。

「岩代の浜松が枝(え)を引き結びま幸(さき)くあらばまた還(かへ)り見む」

「家にあれば笥(け)に盛る飯(いい)を草枕 旅にしあれば椎の葉に盛る」

バスは先ずは梅干しで有名な南部(みなべ)町の岩代海岸に行った。そこには熊野古道の休憩所の一つである「岩代王子」がぽつんと残されていた。そこで昼食を摂り、その後北へと戻りながら阪和高速道の海南インターチェンジのすぐそばにある藤白神社とその境内に建てられた有間の皇子神社、およびその近くにある有間の皇子の墓にお参りした。

聞けば、有間の皇子の私邸は私が住む生駒市の壱分町にあったそうである。近くの無量寺というお寺のすぐ脇の竹薮がその跡地だと伝わっている。これも何かの縁であろうか。

何ごとにおいてもそうだが、歴史の現場に足を運んでそこの空気をかぐことは理屈抜きで緊張し感動するものである。ましてや何でもインターネットで知ることのできる現代ではなおさらのことである。今回もまた、歴史の現場で足のすくむ思いをすることができた。

「雲白く空いや青き岩代の浜松ヶ枝に皇子(みこ)の想ほゆ」

「藤白に熊野古道を訪ね来て有間の皇子の無念を想ふ」

 南部町の海岸近くの岩代王子
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 岩代王子の祠に供えられたご飯は、やはり椎の葉に盛られていた
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2013/5/9

フォッサマグナのことがわかったぞ  短歌

昨日から今日にかけて、2年ぶりに新潟県の糸魚川市まで出かけていた。主な目的は、第64回御風忌と短歌の同人「木かげ会」の全国歌会に出席することであった。

御風とは早稲田大学の校歌「都の西北」や「カチューシャの唄」、「春よこい」などを作詞した歌人・相馬御風のことで、木かげ会というのは御風が主宰していた短歌の同人のことである。ということは、1950年に御風師が亡くなってから64年目になるということである。

もう一つの目的は、糸魚川市にある「フォッサマグナ・ミュージアム」の見学である。2年前に糸魚川市を訪れた際は時間がなくて立ち寄れなかったので、そのリベンジであった。その建物はJRの糸魚川駅からタクシーで10分くらいの小高い丘の上に建っていた。

そこには、日本がまだ大陸とつながっていた太古のころから現在の姿に至るまでの変遷が模型や映像で示されていた。それによると大陸から離れた日本列島は日本海で大陸と分断されただけでなく、糸魚川から静岡に至る線に沿った形で南北に分かれていたのが、その後2000万年くらい前に陸地全体が上昇した際にくっついて、そこに6000m以上の深さがある構造線ができたそうである。従って、その後長期間かけて土砂が埋まったそこには周囲とは明らかに土質の異なる地層が残っており、それを示す資料を集めたのがフォッサマグナ・ミュージアムなのである。

構造線そのものの幅は数10kmから100kmくらいあるそうだが、西端の「糸魚川・静岡構造線」の反対側にあたる東端はあまりはっきりとはしていないそうである。しかしその線は、北アルプスと南アルプスのすぐ東側を走っていることだけは確かであり、有力なのは「柏崎・千葉構造線」で、それに挟まれた範囲には富士山も東京都の大半も含まれるそうである。

昔から地学や地理学には興味のあるほうであったが、2時間近くじっくりと鑑賞することによりやっとフォッサマグナのことが少し理解できた。また若き日の感動が呼び起こされたような気がして大いなるロマンを感じた次第である。

ついでながら、新潟県にある糸魚川駅がJR西日本の所属であることを今回初めて知った。

「古(いにしへ)の日本の成り立ち想はるるその時の人何をか想ふと」

「新潟のフォッサマグナの歴史館廻りて吾も太古を旅す」
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