2012/9/25

「すみません」と「ありがとう」  短歌

たまに聞くFMラジオの放送のワンポイント英語のコーナーで、日本人は何ごとにつけて「すみません」と言うがその中には「ありがとう」という意味で使われるものも多い、という指摘があった。

これはそれぞれのお国柄によるものだが、その人によれば、日本人はもう少し「すみません」をやめて「ありがとう」と言うほうがよいという意見であった。

確かに、我々の「すみません」には特に深い意味はなく、ちょっとした気遣いに対して軽い気持ちで「あ、すみません」という表現が自然に出ていることが多いようだが、それなら「ありがとう」と言うほうが誰にもわかりやすいし、正確に伝わるだろう。

同じように、「思います」も何気なく使うことばだが、これも場合によっては「考えます」とか「判断します」「感じます」などのように使い分けるほうが自分の気持ちを適切に表現できると思われる。

パナソニック社の本社の人事部長は今年からアメリカ人の、しかも女性に替わったらしい。北アルプスや富士山に登っても、大都市で電車に乗っていても見かける外国人が増え、グローバル化が身近に感じられるようになった今、日常使う日本語の見直しも必要ではないだろうか。

「『すみません』つい口に出るそのことば感謝のときは『ありがとう』でしょ」

「進んでるダイバーシティの世の中で日本語すらも見直すべきか」
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2012/9/15

目にもさやかに秋は来ぬ  短歌

昼間はまだまだ暑い日が続いているが、愛犬カイ君の散歩をしていると、わが家の向かいの田んぼの稲は色こそまだ青いもののたわわに実りをつけている。

また、散歩道沿いの生け垣には萩の花がつぼみをつけ始めている。明日か明後日には淡い可憐な花を咲かせることであろう。

そういえば、空の雲もまだ時々残る入道雲(積乱雲)や大きな積雲に混じって、すじ雲(巻雲)らしき形の雲も見かけるようになった。もうしばらくすると一面のうろこ雲が広がることであろう。

人間の感覚もなかなかのものではあるが、大自然の営みはそれ以上に季節や気温の変化に敏感である。目にもさやかに、秋は確実にそこまで来ている。

「秋来ぬと稲穂たははに萩花も蕾をつけて我に告げゐる」

「秋の田に稲穂たははに実れるを仔犬は知らず我が道をゆく」

「短か日の目にもさやかに秋は来ぬ生駒の峰にすじ雲淡し」


  稲穂越しの生駒山
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タグ:  稲穂 大自然

2012/9/10

住みよさランキング  短歌

先日配布された生駒市の広報物によれば、生駒市の「住みよさランキング」は全国で第23位、関西では芦屋市、香芝市に次いで第3位だそうである。そしてランキングは、昨年度の全国第46位(一昨年度は第268位)、関西第7位からそれぞれ大幅に上昇しているのだそうだ。

このランキングは東洋経済新報社が実施している「都市データパック2012年度版」で、全国の788都市を対象に「都市力」を「安心度」「利便度」「快適度」「富裕度」「住宅水準充実度」の5つの観点で分類し、14の経済指標について平均値を50とする「偏差値」を算出し、その単純平均を総合評価したものである。

この中で生駒市が最も大幅に順位を上げたのは「快適度」であり、その要因は指標の一つである「転入・転出人口比率」が全国48位と高順位であったことが貢献しているそうだ。つまりは、保育園の新設や保育時間の延長など、子育て施策の充実に生駒市が注力してきた結果、若い世代の流入により、全国的に人口減少傾向にある中で生駒市の人口がいまだに増加し続けていることがこの評価に結びついているらしい。

一方、「安心度」はまだ第639位と低位にあるが、市立病院の建設がようやく始まっているし、介護保険施設の整備も進んでいるので、現在わずか0.02ポイント差で第1位の芦屋市に1〜2年後には追いつくか追い越すのはほぼ間違いないようである。

生駒市に住み始めてから間もなく5年になるが、関西で第3位というほどの実感はないものの、確かに住みやすい町ではある。だからこそ感覚的に「転居するなら生駒市」と決めたうえで、1年近くかけて適所を探し回ったのだが、それがある指標によって裏づけされた感がある。母親も同居してすっかり馴染んでくれたし、孫たちも年に何回も楽しみに訪ねて来てくれる。まさに「終(つい)の棲家」を見つけた思いである。

「生駒市を終の棲家と定めたは五年も前の定年のとき」

「朝起きて朝陽と生駒の山向かひ挨拶するが習慣となり」
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2012/9/7

どこを向いて政治をしているのか  短歌

昨日のニュースで、経済界と労働界の首脳陣が今の政治のあり方に対して緊急提言を行ったことが報じられていた。最近の政治や政局の動向に危機感を覚えたのであろうが、全く同感であり共感できる。

財政再建、経済活性化、震災復興、教育界の諸課題、TPPへの早期参画などかつてないくらいの課題山積の中で、それらを放置して党利党略や自己の利益のために動く議員や政党ばかりなのは誰だって許せるものではない。

当初は自己中心の代表格の小沢だけであったが、最近は完璧な野党に成り下がった自民党だけでなく政権与党である民主党までもが浮足立ってこの動きに同調しているのは見ていられない事実である。

政権交代の少し前から続く短命内閣に対しては、諸外国はもちろん日本の国民の多くが呆れ果て、諦めの気持ちと怒りの気持ちを感じていることは間違いない。

そこに、親の七光りでやっと議員になっただけで大きな組織のマネジメントの経験すらない「過去の人」や、大事な局面で総理大臣の職を投げ出した「国賊」とも言うべき人物までが総裁選挙に出ようとしているのだから、国民を舐めているとしか思えない。

さらには、そういうていたらくを糾弾し姿勢を改めさせるべき立場のマスコミまでもが逆にそれを煽り立てる役割の中心にいるのだから、日本の将来には悲観的な見通ししか感じられない。

こう感じているのは私だけなのであろうか。

「トップにはなりたい人が就くでなくなるべき人を就けるが道理」

「この国の未来を託せる人は今いずこで何をされているやら」
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