2012/6/29

恩師の逝去を悼む  短歌

先日、私が所属する短歌の同人の木かげ会のある先輩から何度も電話がかかっていたので何ごとかと思っていたのだが、何度かの入れ違いのあとようやくつながったその電話の内容は、つい先日まで2代目の会長であった谷澤龍史先生が19日に亡くなったとの訃報であった。享年93オであった。

実は、今からまだ1ヵ月も経っていない5月の末に谷澤先生は咽喉癌と闘病中の身を押して新潟から大阪まで出て来られ、関西支部8名との歌会にお元気に出席されたばかりである。お元気にとは言うものの、その声にはいつもの張りはなく、愛用のベレー帽をかぶりいつものキャリーバッグを引いて、翌日の奈良か京都への小旅行について語られる姿はなかった。

しかしながら今回も、いつもどおりの博識と、とても93才とは思えないシャープな頭の回転で、出席者の歌に即興で批評と改作を指導してくださっていた。それは言わばスーパーマンあるいは怪物というほうが当たっているかもしれない。

前にも書いたが、木かげ会というのは、都の西北で知られる「早稲田大学校歌」や「カチューシャの唄」、「春よ来い」の作曲家である相馬御風の門下生の同人である。谷澤先生も、三波春夫がレコードで出した「おまんたばやし」ほか多数の学校校歌を作詞されたり、いくつもの受賞をされたり、永年の学校長での功績ほかにより勲四等も授与されている。

残された我々のなすべき役割は、相馬御風とその遺志をみごとに伝えられた谷澤先生の志を引き継ぎ伝えていくこと以外には考えられない。それこそが先生の偉大な功績とこれまでのご恩に報いる唯一最大の責務であろう。弟子である私自身が大きく成長して、先生と同じように一人でも多くの人に我々と同じ感銘、共感を感じてもらえるようにすることしかない。それこそが私に課された課題であろう。

そうこうしていたら昨日、6月1日付で私費出版された「人生旅ごろも」という谷澤先生の著作集が郵送されてきた。小学校時代の教え子がお世話をして発刊にこぎつけたものである。著書の添え状には、内科医師の見落としにより末期の咽頭癌の発見が遅れ、手術も放射線治療も抗がん剤治療のすべてが不可となり、残るは痛みの緩和ケアと週末のホスピスケアのみと告知された経緯がしたためられていた。

壮絶な戦死である。絶望と想像を絶する痛みや苦しみのあまり一時は自殺まで考えたそうである。直前まであんなに体力もあり、頭の回転もシャープであっただけに、無念でならなかったのであろう。

慎んでご冥福をお祈りするのみである。

「新潟に生まれ御風に師事したる我が師龍史の足跡想ふ」

「愛らしきベレー帽をば被りたる恩師の訃報に手を合はすのみ」
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2012/6/15

楽譜は設計図なり  短歌

最近、いくつかのコンサートに出かけたりハーモニカの同好会に参加していて感じたことがある。それは、音楽というものは実に複雑で精巧なひとつのシステムだということである。いわゆる歌謡曲や演歌などを聞いているうちはそれほど感じなかったのだが、交響曲くらいになると実にたくさんの楽器の音色や特性を活かしてひとつの曲が創られていることを痛感させられる。

特に、それは単に音楽を聴いている時よりは楽譜を見た時に強く感じる。数個、場合によれば十数個の楽器のパートを縦に並べた楽譜は、パート毎に聴くと何やら訳のわからないものが多い。しかし一旦全員で演奏するとそこにはすばらしいハーモニーが成り立っているのである。

それはまた建築設計士が、二次元の平面図を見ただけで実際の三次元、四次元の立体像をまざまざとイメージできることに似ている。いやむしろ、立体像を二次元の平面図に表現できるというほうが的確な評価かもしれない。

マネジメントの世界では、リーダー像として指揮者が取り上げられることが多いが、私はむしろ、作曲家のほうを取り上げるべきではないかと感ずる。作曲家は自ら何らかの楽器を演奏できる必要はサラサラないが、どうせならできた方がいいだろう。

だがそれは必ずしも必要条件ではない、十分条件なのである。必要条件としては、様々な変動要因とその可能性を深く理解した上で、自らが理想とするあるべき姿すなわちビジョンを明確に示すことなのではあるまいか。そしてその姿を頭の中で具体的にイメージできること、いわばシミュレーションできる能力が求められているのではないだろうか。

「音楽は総合システムそれを生む楽譜は緻密な設計図なり」

「音楽といふシステムを構想のとほりに再現すは楽譜なり」
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タグ: 楽譜 設計図

2012/6/4

オルフェウスは34人編成だった  短歌

昨夜は、午後から親友の二人と大阪のザ・シンフォニーホールに出かけた。お目当てはオルフェウス室内管弦楽団である。きっかけは、数日前に私がふと見つけた小さな新聞広告であった。オルフェウス室内管弦楽団は、指揮者のいないオーケストラとして知られているが、単に物珍しいだけではない。ニューヨークのカーネギーホールを本拠地として活躍し、40年の歴史の中では数多くの世界的な賞や栄誉を受けている屈指のオーケストラなのである。

私が数年前にこのオーケストラに関心を持ったのは、彼らを紹介した書籍で指揮者を置かずに曲目ごとにリーダー役を替え、またリハーサル中は各々が自由に意見を述べ合い音楽を創りあげていくというユニークな運営方式「オルフェウス・プロセス」を知ったからである。そしてそれは、組織がフラット化している今日の企業その他の組織においても応用できるのではないかと考えたからある。

予め決められたプログラムは3曲で、1曲目のロッシーニ作曲の歌劇「アルジェのイタリア女・序曲」と2曲目のヴェートーヴェン作曲「ヴァイオリン協奏曲・ニ短調」は若手日本人ヴァイオリニスト五嶋龍氏とのコラボであったが、3曲目のメンデルスゾーン作曲の交響曲第4番、イ短調「イタリア」と3つのアンコール曲はオルフェウスだけの演奏であった。

私はクラシックにはあまり詳しくはないものの、彼らの演奏は見事なものであった。指揮者がいなくても最大で34人(曲目によって人数と演奏位置は変化する)の演奏者の呼吸はピッタリ合っていて、目を閉じて聞いていたら眠たくなるくらいに流れが素晴らしい。むしろ指揮者がいない分、かえって演奏に集中して聴ける感じがした。

「オルフェウス・プロセス」という書籍に掲載されていた「指揮者はいないものの、決してリーダー不在というわけではない。逆にどのオーケストラよりもリーダーは多い。メンバー全員がリーダー役を務めるからだ。つまり全員がその過程で発言権を持つと同時に、その結果に対して責任を負うのがオルフェウスのやり方だ。素晴らしい演奏を生み出すのは、聴衆に作曲家の思いを伝えようとする演奏家の心であり頭であり魂である。」ということばをナマで実感できて感動した。

このオルフェウス・プロセス(方式)が成り立つ大前提は2点ある。1つは一人ひとりが高い専門能力を持っていること、2つは高い志を共有していることである。私の属する人材開発の研究会も山登りの同好会も、会長を置かないオルフェウス・プロセスで運営しているが特に山登り同好会のほうは16年以上も続いている。この方式のおかげであることを感謝すると共に、各人の専門能力と志を常に高めて行く努力が必要であることを再認識させられた。

「米国の指揮者のいない楽団のそのハーモニー心に響く」

「オルフェウス・プロセスこそがこれからの組織の運営基本とならん」
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