2012/1/29

「技術人事」の助っ人を目指す  短歌

昨日から今日にかけて久しぶりに和歌山市を訪問してきた。今回の目的は当社の第2回経営諮問会議のためである。行き先は和歌山県の最北部、大阪府との境に近い和歌山市加太町である。ここは流し雛で有名な淡島神社や釣り船の拠点として知られている。今回の特徴は、全員が初めてとなる「クエ」の料理三昧と温泉ホテルでの宿泊形式とした点である。

今回の参加者は先輩社長2名である。予定どおり加太に着きホテルの宿泊室に着くなり、会議は始まった。先ずは私から、過去2年間の事業の経過報告と総括、そしてその反省に基づく3年目に向けた重点運営方針についてお二人に聞いていただいた。その後は二人の諮問委員からの矢継ぎ早やの質問と意見が飛び交う。

その中では今回も大きな収穫を得ることができた。すなわち前回の経営諮問会議では当社の事業コンセプトを「助っ人・人事部長」とすることが提起され以降はこれに基づいて業務を推進しているが、今回はさらに事業領域を絞り込んではどうかという提起が二人から出された。同じ「助っ人」でも従来の「中小企業」という企業規模の絞り込みではなく今後は「技術人事」という人事の領域の絞り込みが提起されたのである。

「目から鱗とはまさにこのことを言うのだろう。思えば私の会社生活時代の人事業務の半分は、全社の技術社員の育成そのものやそのための技術経歴管理システムなど仕組み・システムづくりに特化した「技術人事」であった。しかも自分としても一番いい仕事ができていると感じていたのは「技術人事」を担当していたころである。

これはもう少し拡大解釈すれば「専門職集団の人事」とも言える。だからこそ、最後の職場であった健康保険組合という医療職中心の職場にあっても何とか役割を果たせたのかもしれない。私の真の顧客は、技術者を中心としSEや医療職も含む専門職の人々なのである。今後は「技術者を活かす助っ人・人事部長」として再デビューすることにした。

クエづくし料理は今の当社にとっては少し背伸びの大盤振る舞いではあったが、お蔭さまで十分に元が取れるくらいの収穫があったので極めて有益な投資であった。加えて、先輩社長からの差し入れの限定版焼酎の44度の原酒が心地よさを一層加速させてくれた一夜であった。

「技術者を元気にさせる人事をば我が人生の進路と決めん」

「和歌山の名物といふクエ料理フグとも違ふ味の深さよ」


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2012/1/19

社外を知ることの大切さ  短歌

同じ大学の出身者で奈良に住む11人の内の一人から先日、同期会の案内をいただいたので昨日参加してきた。場所は、奈良公園の少し南で白毫寺(びゃくごうじ)のほぼ前にある彼の所有する畑の中であった。そこに建てられたミーティングハウスという名前の建物は、そもそもは農作業のための小屋である。

今回参加したのは4人で、内3人は大学だけでなく高校まで同じであることがわかった。私が以前から知っていたのは11人の中でも1人だけだが、4人がお互いに自己紹介をしているうちにいくつもの接点や共通点があることがわかり、一気に旧知の間柄のように親しくなった。

1人は鳥取出身で卒業後は営業系のサラリーマンをやったあとコンサルタント会社と大手商社系の流通会社勤務を経て6〜7年前から自然食品の製造・販売業を経営している。2人目は高校時代は理系だったが私と同じ経済学部に進み、卒業後は大手住宅メーカーの法人営業をしたのち2級と1級の建築士の資格を取り系列のハウジングサービス会社の社長を経て、今は大学の講師などをやっている。3人目は私と同じ電器メーカーで経理一筋に勤務し今は系列のサービス会社で週3回の勤務を続けている。

同窓会とはいえ、今回は10:30から16:30までの6時間はアルコール抜きで、家主による自然食品の鍋煮込みという男料理とたんぽぽ茶なるコーヒー似の飲み物を片手に大いに語り合った。

4人に共通していたのは、いずれも大手企業に就職したせいか40代から50代くらいに関連会社や団体に出向の経験をもっていたことである。多少の違いはあれ外部と接した経験や、ことばや価値観が違う世界での苦労などは後々の大きな財産になったという点では全員の意見が一致した。社外や他業界、他職種の人との協働や交流の大切さを再認識した貴重なひと時であった。

「紅顔の時期を過ごせし仲間とは四十年も矢の如しかな」

「艱難は汝を玉にすと聞くが体感できた今笑顔なり」

 ミーティングハウス(遠方の背景は我が生駒山)
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 自然食品の男料理
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2012/1/15

「坂の上の坂」と「下山の思想」  短歌

「坂の上の坂」という本を読んだ。昨年11月に出版されたばかりの本だが、既にかなり増刷されているくらいよく読まれているようだ。著者は、藤原和博という56才の人で、潟潟Nルートで勤務中に同社初の「フェロー」(社員ではなく契約関係の存在)となり、2003年、47才の時には都内で義務教育初の民間校長として杉並区立和田中学校の校長を務め、2008年には当時の橋下大阪府知事の特別顧問になった人物である。

この本のサブタイトルは「55歳までにやっておきたい55のこと」というものである。内容としては、人生80年時代になった今、定年後の時間だけを見ても20年から30年は生きて行かねばならない、坂の上に雲が見られたのは人生50〜60年時代のことであり、今となってはそれを追うのは幻想である、であれば残された「老後」をいかに過ごすのか、またそのためにはいつまでに何をやっておかなければならないのか、ということを提起したものである。

老後が20年も30年もあるということは、現役として一生懸命仕事をしてきた時間とほぼ同じだけの時間が残されているわけだから、これを無為に過ごすわけにはいかないのは当然である。いかに生きたいのかを明確にして、そのためにはいつまでに何を経験し何を成し遂げるのかという計画を作成し、それに基づいて毎日を過ごすことが必要であろう。

続いて読んでいるのは、12月に出た五木寛之氏の「下山の思想」という本である。まっしぐらに力強く成長の坂を登り続けてきた日本だが、今は大きな混沌の中にいる、どう考えても再び世界の経済大国を目指す道はない、しかし敗戦からみごとに登頂を果たした今こそ実り多き「下山」を思い描くべきではないかという提起である。そこでは「下山」とは諦めの行動ではなく新たな山頂に登る前のプロセスであるという、前向きで鮮烈な世界観が示されている。

新たな坂が待ち受けていることが間違いないのならば、その坂の存在に少しでも早く気づいて準備をし、人生を実り多き「上り坂」にしたいものである。

「人生の大半を過ぎ残りをば豊かに生きる計画立てん」

「老後をば余生と見るか新たなる時期を生きるの思想で見るか」

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2012/1/10

福笹に誓う  短歌

昨日はあの先輩社長からのお誘いで、昨年独立した新進の女性社長と共に3人で今宮戎の宵戎に出かけた。今日は本戎なので「宝恵籠(ほえかご)」なども出てさらに人出は多かったようだが、毎年100万人が訪れる戎信仰の本場は昨日でもさすがの人出であった。一方通行の人波に押されるように本殿前でお賽銭を投げお参りをするときもとても落ち着いてお祈りはできなかった。

その後は、すぐ横にある笹配り所(?)で笹をもらうのだが、これが半端な努力ではいつまでたってももらえないくらいの人混みと我勝ちの人の勢いである。さすがに温厚な(?)私も背伸びをして大きな声を出して手を伸ばさなければなかなか笹がもらえない。こんな体験は初めてのことである。

3年前からここに来ている先輩社長からは「できれば小さめの笹をもらうんだよ」とアドバイスされていたものの、笹を受け取るだけでもやっとのことなので結局、気の小さな私は大きめの笹を受け取っていた。新米社長は先輩とぴったりくっついていたので、どうやら小さめの笹をもらえたらしい。さすがである。

その後は、先輩社長いわくの「トッピング」が待ち受けている。ここが正念場である。3年前から来ている先輩は千両箱や米俵やお札だけでなく、大判やその他のトッピングまでつけてもらっているので思わず私も同じものを注文しようとしたら、傍らの福娘さんが優しく「初めてなら、今年はこれくらいからスタートされて毎年一つずつ増やしていかれたらいかがですか」と言ってくれたので、ああそういうものなのかと納得して先輩と競うのはやめにした。

帰宅後は、早速自分のデスクの真ん前の壁に二本のタコ糸で飾り付けた。それは、私の大好きな北アルプスの立体地図の上にあり、これまた大好きな生駒山を毎朝眺めている西向きの窓の左上にも位置する。つまり、私が毎日何度も目にする場所であり、私の頭上に位置しているのである。

これを眺めていたら、昨年からお世話になっているクライアント企業様から今年度の研修日程のご連絡があった。それを手帳に書き入れていたら、また別のクライアントの総務部長さんから次回の打合せの日程調整の電話が入ってきた。福笹のご利益なのか、どうやら今年の仕事も本格始動状態に入ったようである。今年も「助っ人・人事部長」の名に恥じないよう、少しでも中堅企業・中小企業様のお役にたてるよう最善最高の努力をすることを福笹に誓った。

「新年の誓ひ新たに今宮の戎神社に福笹求む」

「福笹の千両箱や米俵いづれも我の努力次第ぞ」

 デスク前に飾った「福笹」。
  左下には憧れの北アルプスの立体地図。
  右下の窓から毎日、生駒山を眺めている。
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2012/1/8

日本初の氷河が確認された  短歌

昨年末の新聞に、これまでは日本には存在しないとされてきた「氷河」が北アルプスの3ヵ所で初めて確認されたとの記事が出ていた。氷河は、山がちな、または傾斜した地形に、複数年にわたって氷や雪が堆積し、万年雪が圧縮されることでできるものであり、極東アジアではロシアのカムチャッカ半島が南限とされてきた。

これに対して今回確認されたのは、北アルプス・立山連峰の剱岳(2999m)の2つの雪渓と立山の主峰・雄山(3003m)の雪渓の計3ヵ所がそれである。これらはいずれも厚さが30m以上あり、少なくとも数百年前に降った雪からできた氷も含まれていて、GPS(全地球測位システム)による測定では、年間で4m以上移動しているそうである。その速度はヒマラヤの小型氷河に匹敵する。

日本で氷河を探す動きは1970年代からあったそうだが、高い場所に持ち込める観測機器がないため研究や測定が進まなかったものが、技術発展により機器が軽量化でき微妙な動きも捉えることができるようになったのである。この発見により、長期的な気候変動や過去の大気の組成を知ることなどにつながることが期待されている。

気象の世界では後ろ向きな話題ばかりが多い昨今であるが、久しぶりの明るい話題で正月らしい華やかさとロマンを感じ たニュースであった。

「数百年の雪固まりし氷塊のジワリと動き氷河となれり」

「日本にはなしと言はれし氷河なるロマンはじわりじわりと進む」
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タグ: 氷河 剱岳 日本初



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