2011/12/31

需要をつくれる企業  短歌

先日の新聞に3日連続で宅配最大手のヤマトホールディングの紹介記事が出ていた。「ただ荷物を運ぶだけではなく、顧客の満足を創造する」。1976年に宅急便を始めた創業者の故・小倉昌男氏はこんな「理念」で、「個人向け荷物はもうからない」という常識に挑んだそうだ。その後も顧客視点の発想を貫き、初年度170万個の取扱個数が今年度は1000倍近い約14億個に達するらしい。

その理念は今でも同社のDNAとして定着し引き継がれて、顧客のため、需要をつくり出すために全力を絞って成長を続けている。私は知らなかったが、5.5万人の配達員たちがつかんでくる顧客の要望や不満に耳を傾けそこを起点とした新サービスを組み立てているそうで、例えば壊れた家電製品を宅配便で回収し、修理して顧客へ届けるサービスを始め、そのためのメンテナンスセンターを40億円かけて設置したのも一例である。家電業界は何をサボっていたのか。

同社のたゆまぬ成長の要因は、ひとつは上記のような顧客視点での「現場力」であり、それを引き出す現場重視の経営理念である。「現場こそがアイデアの源泉」というのは瀬戸会長のことばであるが、同社が素晴らしいのは、前例やタブーにこだわらず顧客のために挑戦する姿勢であり、時には規制を突き破るため官とも闘いながらここまで来たことである。さらには同社はサービス向上のための「IT活用力」が極めて高いことでも知られる。

創業者の小倉氏が、郵便小包や鉄道貨物の「荷物がどこにあり、いつ届くのかわからない」という難点の克服に心血を注いだのが原点だが、今では「場所ではなく人に届けるのが使命」とばかりに「宅配」から「個配」へと進化し続けている。例えば「配達を待つのが面倒」とか「家族へのプレゼントを事前に見られたくない」という声に応えるため、駅などに専用ボックスを置き顧客が帰宅途中などに荷物を受け取るサービスがその代表である。顧客がボックスの場所を指定すれば暗証番号がメールで届くのである。

そのほかにも、受け取る本人にメールで事前通知し、都合に合わせて配達日時を変更できる「宅急便受取指定」も昨年から始まったが、私も時々利用している。これは一見、顧客サービス向上のための施策だが、同時に再配達が減るので自社の「生産性向上」にも大きく貢献しているのである。勝ち残りには顧客の変化を見逃さないばかりか「先取り」する構想力がものを言っている。ここにも「チーズを探す」のではなく自ら「チーズを動かす」ことのできる企業の例があった。

同じような企業は他業種にもいくつかみられる。ここまで来ると、製造業とかサービス業という分類は意味をなさず、生産性の高い企業かそうでない企業かが重要な切り口になるのではないだろうか。

「次々と需要を創造し続ける企業は顧客のみを見つめて」

「これからは生産性と付加価値が死命を決する尺度となれり」
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2011/12/28

「チーズは探すな!」  短歌

11月に刊行された「チーズは探すな!」という本を読んだ。これは10年前に世界中で2400万部読まれた超ベストセラーの寓話「チーズはどこへ行った」のアンチテーゼでもあり続編でもある。著者は前作とは別人で、ディーパック・マルホトラというハーバードビジネススクールの教授である。

前作の主テーマは「変化はコントロールできないものなのでそれを受け入れ順応せよ」であったが、今作のそれは「変化に順応するだけではなく自分で変化を起こせ」というものである。今作の著者は前作を否定してはいない。むしろ「素晴らしい本」だと述べている。しかし同時に、それだけでは不十分であると言っているのである。

その違いはそれぞれの原題、つまり前作が「Who Moved My Cheese?(誰がチーズを動かしたのか?)」であるのに対して、今作のほうは「I Moved Your Cheese(チーズを動かしたのは僕だ)」であることと対比してみればよくわかるかもしれない。

変化を予測して先取りし、それにいかに素早く対応・順応していくかが20世紀時代の望ましい生き方であったのに対して、これまでの延長線上にない想定外の環境・前提の変化に対してはそれだけでは不十分であり、むしろ自分が変化を起こす役割を果たせ、というメッセージは21世紀を生きるリーダーには必須の考え方であり望ましい姿勢ではないだろうか。言わば平時のリーダーと非常時のリーダー像のあり方と考えてもいいのかもしれない。

地方自治体のあり方に一石を投じ、あるべき姿・ビジョンを明示して大阪府知事から大阪市長に鞍替えした橋下徹氏などは、まさに大きなチーズを動かしている人物でありお手本にすべき存在なのではないだろうか。考えさせられる寓話である。

「これからは変化をとらへ順応すだけでは足りぬ変化を起こせ」

「平時ではよきリーダーも非常時は視点も動きも変へねばならぬ」
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2011/12/25

球団のカラー  短歌

先日の新聞のスポーツ欄に野球評論家の豊田泰光さんの「球団のカラーどこへ」という記事が出ていた。彼によると、みそ汁やカレーと同じように昔のプロ野球球団にはカラーというものがあったが最近はそのカラーが薄れているようだ。そしてその一因としてはFA制度によって大物選手が異動しそれぞれの色がごちゃ混ぜになったことが挙げられていた。

一例として、横浜DeNAから巨人へ移籍した村田修一のことが取り上げられていた。村田という選手は豪快でどこかお人好しで、勝ちきれないという旧大洋ホエールズ的選手な人材であるだけにその移籍は惜しいと述べていた。そして、球団のカラーが色あせたらリーグ全体が色あせ、動員力にも響き、ペナントレースの興味を損ねていると書いていた。

それらの主因の一つとして彼は、セリーグの一部のチームによる選手の「召し上げ」があるが、それぞれの球団には摘んではいけない花があるとも述べていた。そのチームはソフトバンクからFAとなった杉内投手なども狙っていると聞く。ひょっとするとカラーの喪失で一番焦っているのはその「召し上げ」に躍起になっているチームではないかと推測していた。

確かにそのチームは、過去からも潤沢な資金を活かして4番打者を何人も集めることで有名である。同時に、その割には4番打者たちを十分には活かせずに無駄遣いというか飼い殺しのような状態にしている印象を受けていたので、豊田氏の意見には賛同できる。

これは一般の企業に関しても同じことが言えるのではないかと感じた。私が37年間在籍したあの企業もかつては、「学力優秀者」と「スポーツマンタイプ」と「質実剛健タイプ」をそれぞれ三分の一ずつ採用するという採用方針を明確にしていたが、最近はそれを全く聞かなくなっている。もしかすると「学力優秀者」ばかりを重点的に採用しているのではないかとさえ感じられる。

それが、現在の縦割り・上向き・内向きで責任を取らないお役所的な企業風土や、640円前後に低迷する株価の一因になっているのでは、というのは私だけの杞憂であろうか。

「金力にものを言はせて大物を集め優勝できぬチームよ」

「同質の組織は短期の決戦に向くが長期の進歩に向かぬ」
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2011/12/20

竜田川クリーンキャンペーン  短歌

自治会の組長をしている関係上、毎月の役員会への出席はもとより様々な行事に参加している。今年は既に地区の運動会、防犯パトロール、防災訓練など色々とあった。

それらの他に、自治会費の徴収や地区内の清掃などもあった。中でも先日は近くを流れる「竜田川」のクリーンキャンペーンがあったので参加した。

竜田川は生駒山系に源を発して南下し、約15キロ先で大和川に合流する一級河川である。かつては在原業平によって「ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは」と歌われた歴史的な名勝でもある。

その河畔に住まいする者として、この川の清浄さを保つことはまさに使命と言わざるを得ない。清掃の当日は、果たしてたくさんの住民が参加してくれた。みんなも同じ気持ちを持っておられることが再確認できた。

世の中には、理屈や手段ではなく目的や志で動く人がまだまだいることを知り、心強く感じたものである。

「ちはやぶる神代も今とかはらじと竜田の流れ清がしく歌ふ」

「人々の心の中に流れゐる気高きものへの畏れ変はらず」
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2011/12/17

京都「ほろ酔いコンサート」30回万歳!  短歌

今年も加藤登紀子さんの「ほろ酔いコンサート」に出かけてきた。初めて行ったのは大阪の梅田芸術劇場(旧・梅田コマ劇場)であったが、最近の数年間は山仲間のS医師のお世話により京都の祇園甲部歌舞練場ばかりに出かけている。

今回も例年と同じ舞台下手側の枡席2番で友人たち6人と鑑賞したが、今年のお登紀さんは昨年よりもよく声が出ていて快調だったようだ。それは今年で京都でのほろ酔いコンサートが30回目という記念の年であったこともあるのかもしれない。そのせいか、お登紀さんが舞台で呑む日本酒の量はいつもより少し多かったようだ。

Sさんが言うように、お登紀さんは歌うだけでなく人生を語れる数少ない歌手だが、子供時代の京都の思い出(小学生から中学1年生までを京都で過ごした)、人と人との交わり、大震災復興への思いなど今夜もたくさん語ってくれた。

今年のコンサートのサプライズは、特別ゲストとして何と森繁久弥さんが登場したことである。もちろんご本人は2年前に亡くなったのだが、体格もひげ面もそっくりの人物が客席の5列目から舞台に登場したのである。それは久弥さんの二男の森繁 建(たつる)さんであった。加藤登紀子さんより3才年上だと紹介された建さんは、お登紀さんと一緒に「知床旅情」を歌ってくれたが、70才とは思えない朗々として声であった。

また今年のコンサートでは、それ以上に私が嬉しかったできごとがあった。ひと通りのプログラムが終わった後、お決まりのようにアンコールが2曲続いたのだが、もう終りかけかという雰囲気が流れた瞬間に私が「琵琶湖周航の歌!」と2回声をかけると、お登紀さんがすぐに反応して「琵琶湖周航の歌か・・・、やろうか!」と答えてくれ、全員での大合唱となったので、会場も大盛り上がりとなったのである。私が望んだだけではなく他の皆さんもそれを望んでいた証であろう。お登紀さんはそれに見事に応えてくれたのである。

舞台がはねたあとは、これもいつものとおりSさんが予約してくれていた近くのロシア料理店で遅いめの食事会となった。みんなでコンサートのことをワイワイと話し合っていると、これも例年どおりお登紀さんがやってきて我々に挨拶をしてくれ、今年も一緒に記念写真を撮らせてもらった。もちろんSさんがお登紀さんの実兄であるレストランのオーナーに話をつけてくれていたからにほかならない。

こうして我々にとって年末の風物詩となっている「ほろ酔いコンサート」は、今年もいくつもの思い出と共に終わった。さあ、明日からは年賀状書きを始めねばなるまい。

「ほろ酔ひで歌手と客とが語り合ふ歌舞練場の熱き空気よ」

「ほろ酔ひの加藤登紀子の人柄に惚れて今年も祇園に通ふ」

   加藤登紀子さんを中心に、「キエフ」の加藤社長も交えて
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