2011/11/30

世界のひらパー  短歌

久しぶりに京阪電車に乗ったら、「世界のひらパーと言わせてください」という車内吊り広告が目に入った。「ひらパー」とは私が4年前まで住んでいた自宅のすぐそばにある京阪電車系の遊園地である。何のことだろうと思って広告に近づいて読んでみたら、「ジーパン白シャツ姿で一斉にシャツの襟を立てた人数」で10月に世界一のギネス記録を達成したのだそうだ。

お笑い芸人のブラックマヨネーズが「ひらパー兄さん」としてテレビCMなどに出ているが、彼らが中心となってこの7月にも「スイムキャップ一斉着用世界一」のギネス記録を達成していたそうだ。調べてみたら、それらの模様は同社のホームページにも掲載されているばかりかテレビCMにも流れていたそうなので、参加者は何度もそれを楽しめるようである。

くだらないと言えばくだらないし、平和と言えば平和そのものである。しかし大切なのは「モノ」で人を集めるのではなく「コト」で集めようとしていることである。またそこに参加した人たちは自分もその記録の一員として満足度が上がるのであろう。現に全国的にテーマパークや遊園地が集客力を落としている中で、この遊園地は集客力を上げていると聞いた。やっていることはくだらないが、経営に携わる人たちは必死なのであろう。

そう考えると、これも生き残りをかけた営業戦略・経営戦略のひとつであり、体裁にはこだわっていられない実情を表わしているのかもしれない。私も先輩社長からある本を紹介され、3年目に入って経営戦略を見直してみるように言われていた時期であるだけに、こういう広告でも目に入ってきたのかもしれない。

「世の中の移り変はりは激しくて何でお客を呼ぶかも変はる」

「モノでなくコトで集客図るため話題づくりのイベント多し」
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2011/11/27

歌うように演奏する  短歌

今日は親友のHさんと二人でグレンミラー楽団のコンサートに出かけた。コンサートも久しぶりだが彼と二人でのコンサート行きも初めてのことである。

グレンミラー楽団は毎年この時期に来日し全国ツアーをしているそうだが、今回はたまたま大阪市内での公演のチケットが入手できたので、私から声をかけて実現した。実は彼は大学時代にビッグバンドに属していたこともあり、私よりもグレンミラー楽団については詳しい。

会場の大阪国際会議場は中高年を中心に続々と聴衆が集まり、開演前にはほぼ満席となった。

オープニングの曲は代表曲の「ムーンライトセレナード」である。聴衆の興奮はいきなり高まっていく。その後も「アメリカンパトロール」「真珠の首飾り」「ペンシルベニア6・5000」「インザムード」など次々と旧知のヒット曲が続く。アンコール曲は「茶色の小瓶」である。

2時間の演奏はあっという間に過ぎ去ってしまった。楽しい時間は早く過ぎるものである。余韻を惜しむため、彼と近くの居酒屋に入った。そこでは期せずして「本物のサウンドはいい」という見方で一致した。

音楽の世界では、「語るように歌え」「歌うように演奏せよ」とはよく言われることだが、今日のグレンミラー楽団の演奏もまさにそれを実感する、クオリティの高いものであった。しかもグレンミラー本人が欧州慰問中に戦死してから67年も経った今でもそのサウンドが脈々と継承されていることに驚きと感嘆を禁じ得なかった。やはり「本物はすごい!」のである。

「半世紀過ぎて今なほ色褪せぬグレンミラーのサウンド揺れる」

「歌ふとき語るやうにと教はりし奏でるときは歌ふやうにと」
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2011/11/24

四季はまだ残っている  短歌

最近はよく、日本は夏と冬が長くなり春と秋がなくなったと言われるが、案外そうでもなさそうである。

毎朝起きたらすぐに自分のデスクから声をかけて挨拶をしている生駒山ではあるが、先日の早朝、京都での研修講師の仕事に出かける時によく見てみたら、山は一気に紅葉の色を深め赤々と輝いているではないか。朝日に照らし出されたその山容は一際美しい。

そういえばもう11月も末なのだから何の不思議もないのだが、しばらく忙しくしていたせいか山の変化になかなか気づかなかったようだ。しかし木枯らしが吹くこの時期になって、山はいつの間にか着実に冬支度を進めていたのである。

確かに温暖化の影響は大きく、夏のゲリラ豪雨はまさに南洋のスコールそのものである。しかしそれでも、日本にはまだ四季の違いは残されている。いや四季そのものが残されているのである。

あと数週間もすれば木々の葉も散り果て、山肌は枯れ木の枝の少し白っぽい色に変化する。そしてそこから一ヵ月もすれば真っ白に雪化粧をすることだろう。

四季のある日本に生まれてよかった、と感じられるひと時である。

「この国の四季は残れりそこここに山紅葉に赤く染まりて」

「風吹けば凍へる両手さすりつつ息吹きかけて背中丸める」
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タグ: 四季 生駒山 温暖化

2011/11/20

新しい道路に刮目  短歌

先日、妻の希望に応えて和歌山県北東部の橋本市にある温泉まで出かけた。先日来、右肩が痛いとか何となくよく眠れないと訴えていたことの解消と気分転換のために付き添うことにした。

我が家と橋本市との間には高速道路がつながっていないので、60キロの距離の割には不便な場所である。ところが先日その近くの客先まで行った時に、全通ではないが自動車専用道路がかなり開通していると聞いていたので、今回は試しにそのルートで行くことにした。

結論から言えば、今回の経路のほうが走りやすいし、時間的にも少し短縮できたのには驚いた。残念ながら、私の車のカーナビのソフトは少々古いバージョンなのでその経路は表示してくれなかったが、これまでの記憶をたどりながら行ったのが正解だったようだ。

「士別れて三日なれば刮目して相対すべし」ということばがあるが、知らない間に知らないところでは新しい道路がつくられていることを知った。道路だけではなく、その他の様々な面においても同じようなことがあるのかもしれない。どうやら、目の前のことばかりに目を奪われずに刮目しなければならないことはどんどん増えてきているようだ。

「目の前のことに心を奪はれずときには見方変へて見直せ」

「三日でも刮目せねばならぬのに三年経てば初見のごとし」
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2011/11/16

本能としての行動  短歌

愛犬カイ君の散歩をしていて、最近気づいたことがある。それは、オシッコをする時に後ろの片足を上げてするようになったことである。

来月に満一歳になるカイ君はオスであるが、生まれてすぐにわが家に来たので誰にも教えてもらっていないせいか、オシッコをする時もウンチをする時と同じ格好をしていた。それがある時ふと気づくと、片足を上げてオシッコをしていたのである。

誰かに聞いた話では、犬はオスは片足を上げるがメスは上げないそうだ。誰にも教えてもらわなくてもオスはオス、メスはメスとしての行動を本能的に知るものらしい。一方、我々人間の世界では、最近は男らしさや女らしさはなりを潜めているかの印象を受けることが多い。

ビジネスの世界では女性の進出と活躍は目覚ましい。これは歓迎できる。しかし、パンツスタイルが定着したせいかノッシノッシと歩く女子が増えたし、飲み屋でも酔いに任せて嬌声を上げているのは女子のほうが多い気がする。

一方、男子では化粧をしたりピアスまでつけている若者が増えたし、女子のあとを着いていくことを恥とも何とも感じていない男子が増えているのは嘆かわしいかぎりである。

人類の進歩とは本能から遠ざかることだと理解はできるが、あまりにも「らしさ」をなくし訳がわからなくなっている現状は、進歩というよりは衰退という表現のほうがあてはまるような一抹の寒さを感じた。

「人類の進歩は喜ぶことばかりではなく嘆きと憂ひ残れり」

「今は昔 男が男らしくあり女が女らしくありしを」
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