2011/9/29

若者ことばへの戸惑い  短歌

コンビニやファミリーレストランなどのサービス業を中心によく聞かされるいわゆる若者ことばの中には、もう定着してしまった感のあるものも多いが、それでも違和感のあるものがまだたくさん残っている。

例えば「〜になります」だが、注文したみそラーメンが以前には違う品物であったのがその人の手によってみそラーメンに変化したのか?と聞いてみたくなる。なぜ「みそラーメンです」と言えないのだろうか。

また「〜のほう」も気になる。別に二つの中からどちらかを選ぶ話ではなかったりどこか行き先の方向の話ではなかっても「のほう」と言われると、そういうことを会話していたかと、ふと戸惑いを感じてしまう。

恐らく話している人はそのほうが丁寧な話し方だと考えているのだろうが、理由は他にもあるのではないだろうか。例えば、そこには他人から嫌われたくないという心理が強く働いているように思われる。つまり、ストレートに自分の意見や考えを言えない、言わないのである。その背景には先に述べた「他人から嫌われたくない」という心理の他に、自分自身に対する自信のなさもあるかもしれない。

先日のあるセミナーで聞いた話によると、「ゆとり世代」にその傾向が強いそうである。小さいころから競争を避けて育てられ、長じてからは日本の経済や外交の問題点や凋落ぶりを嫌というほど見聞きしてきたために、自分達の将来に不安を抱えているのだそうだ。また、仕事で頑張って管理職や経営者を目指そうという人も減っているようである。それは管理職になってもしんどいことが増えるだけで魅力のある仕事とは見えないらしい。

どうやら、若者ことばを云々する前に彼らが魅力を感じ自信を持てるような会社づくり、社会づくりを我々大人世代が実現し彼らに示すことのほうが先決問題なのかもしれない。

「若者の婉曲ことばの背景に自信と魅力なき社会あり」

「若者の自信のなさを嘆くより自信を持てる国づくりこそ」
3

2011/9/24

小さな会社こそ人事評価制度で人を育てる  短歌

「小さな会社は人事評価制度で人を育てなさい」という本を読んで、大いに共感した。私自身も今、いくつかの企業で人事評価制度の再構築のお世話をさせていただいているが、確かにそう感じることが多い。

言うまでもなく人事評価の基準は単に給与や賞与の金額を決める手段であるだけではなく、「こういう従業員であってほしい」という、経営トップから従業員に向けてのメッセージであり願いでもある。つまり、評価というものは上司が隠れてこそこそと評価をしたり、評価しっぱなしではいけないものであり、評価基準は予め全員にオープンにされていないといけない。そうでなければゲームが終わってからそのゲームのルールを発表するようなアンフェアなものだからである。

また評価の結果とその理由はできるだけオープンに本人に対してフィードバックされなくてはいけない。でなければ、自分の行動のどこがどのようにまずかったのかが本人にはわからないし、従って改善や努力のやりようがないからである。

これらの課題の解決のためには、人事評価の前後の段階で上司と部下が事実をもとに面談をすることによって半年間を振り返り、可能なかぎり認識を共有することから始めなければならない。そうすることによって部下は自分の行動の特徴や、強みと弱み、成長のための課題などに気づくのである。また気づかせるような面談でなければ意味がない。

「人材育成」というと何やら大々的な研修体系をつくりあげ著名な講師を呼んでこなければ実現できない、と考えられがちだがそうではない。いやむしろ上記のような日常の業務の中での仕事の進め方やその成果を上司・部下間で謙虚に話し合うことによってこそ、より具体的に課題や改善策を感じることができるのである。ということは人事や研修専任の社員がいない中小企業にだって育成ができるということなのである。そう考えると、むしろ中小企業にこそ明確な人事評価制度が必要だと言える。

私の今のテーマは、こういうことをより多くの中小企業の経営者や人事担当者にご理解いただくことにあるのかもしれない。

「昇給や賞与を決める考課票 その目的は育成にあり」

「人材の評価にあたり基準をば明確にすることこそ育成」
2

2011/9/20

最大の責任は国民自身にあり  短歌

先日の国会中継のテレビ放送を観ていて、政治家達の志のレベルの低さお粗末さに呆れ返ってしまった。そこでは最大野党の党首が新しい首相に対して代表質問をしていたのだが、その内容があまりにも国民多数の期待とはかけ離れたものであったからである。それは党利党略のためのもの政局ねらいのものであり、真に国民のことを考え将来の日本をどうするかという視点に欠けたものであった。言い換えると今のマスコミが喜びそうな話題が大半を占めていた。まさに「大衆迎合」そのものではないか。

ある雑誌の記事に、「日本ではマスコミが権力者の取り巻きになってしまい、『何をするか』ではなくて『誰が権力者であるか』が重要であると考えるようになっている。これが政治指導者の資質を低下させている。」という意見が掲載されていた。あるシンクタンクの顧問である著者は「マスコミは国民に代わって政治家に対し『ではあなたはどうすべきなのですか?どうするのですか?』と聞くべきである。それを続けるだけで政治指導者たちの質は格段に高まる。マスコミ自身がその問いを自分たちにも向けるべきである。」とも書いていた。全く同感である。

ところがマスコミがそれをできないのは、そんなことを聞けば政治家たちが不愉快になり政局のネタを喋ってくれなくなるから、だとも書いていた。マスコミも政治家たちと同罪で、国民の幸せを考えず自分たちのことを優先して考えていることにほかならない。その結果、政治についても経済についても「三面記事」「週刊誌的な記事」が横行する現実に至っている。

また最近読んだ「街場のメディア論」という本では、一般国民の主要な情報源であるテレビや新聞などのメディアの凋落ぶりを訴えていた。国民に代わって命がけの知を発信するのがメディアなのに、それが後退していると嘆いていた。そして、そういうテレビの姿勢をせめて新聞が指摘し批判すべきなのにしていないのは、「メディアミックス」などという美名のもとにほとんどの新聞がテレビキー局の傘下に組み込まれているから、とも指摘していた。

そういう枠組みの中で政治だけでなく経済や教育まで論じるものだから日本全体がおかしくなり、「クレーマー」や「モンスターペアレント」が大量発生するのも頷ける。マスコミの責任は極めて大きい。しかしながらそういう報道に興味深く群がったり、そういう政治家を選んできたのはほかならぬ国民自身である。ここらで国民が「自分たちが望んでいるものはそんなものではない。」という意思をはっきりと示すべきではないだろうか。

「世の中のあるべき姿マスコミが見ずに政治と迎合すとは」

「許されぬ今のメディアの無責任 彼らの評価基準つくらん」
2

2011/9/14

キャリアをマネジメントする  短歌

7月末から毎月1〜2回ずつ、ある大企業の50才社員を対象とした節目研修を担当させていただいている。研修のねらいと内容は、60才以降のキャリア(仕事だけでなく人生全体を考える「ライフ・キャリア」)を設計して、それを実現するためには今から60才までの会社人生をどう送るかを考えるものである。

日本では20年余り前から、繊維業界、電機業界、自動車業界など、高齢化が進む企業から順に導入されてきている。若くて活気に溢れるこの企業においても将来に向けて早いうちに、自分の人生設計は自分自身でやるものだという考え方や行動を身につけさせよう、との意図から実施されることになったようだ。

この種の研修で一番大切なことは、主体性と自律性である。なぜなら、このテーマには全員に共通する正解はないし、ましてや他人から指示されてそのとおりに実践するという業務上のスキル研修とは全く違うからである。自分で考え自分で決め自分で実践していくものだからである。

まさにキャリアをマネジメントするというものであり、その人のこれからの人生設計に関わるものなので、やりがいがある。また受講者は私より10才余り若い人達なので、成功も失敗も含めた私の経験がお役に立つ領域が多いのも張り合いを感じられる点である。今回の研修では、2日目の午後は個人別のカウンセリングを行うことが特徴なので、なおさら私自身の味付けをできる醍醐味もある。

幸いにも、過去3回の受講者アンケートでは、割合高い評価をいただいている。これまでは私はサブの講師であったが、次回からは私がメインの講師を務めることになっている。いやがうえにも緊張が高まっていることが自分でもわかる。一人でも多くの人に満足のいく人生設計をしてもらえるよう全力を尽くすのみである。

「これまでの半生謙虚に振り返りこれから先の人生仰ぐ」

「定年のあとの人生設計すこれぞキャリアのマネージメント」
3

2011/9/9

秋の奈良はオススメできる  短歌

生駒市に転居してきてから間もなく4年になる。この間には、家族の身の上に毎年のように初めてのできごとが起こった。また同時に、生駒や奈良の悪い点やいい点もわかってきた。

悪い点としては、日本で最初に都が置かれた地としてのプライドや思い入れが強すぎて、それにしがみつき過ぎているという点である。これについては以前にもここに書いたので今回は省く。

一方いい点としては、天災が少ないことのほか、豊かな自然と歴史的に貴重な文物が数多く残されていることが挙げられる。地元生駒市にある身近な往馬(いこま)大社は1500年の歴史があるし、奈良市には見どころは数多い。例えば「世界文化遺産」の薬師寺や唐招提寺などがある西の京周辺がその好例であろう。

薬師寺は、約1300年前の白鳳時代に天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気回復祈願のために建立した。薬師寺から北に10分ほどの唐招堤寺は、苦労の末に中国からやってきた鑑真和上が僧の修行のためにと天平宝字3年(759年)に建立したもので、まさに井上靖の『天平の甍』の世界が広がる。

それぞれの寺に残されている塔頭や仏像(国宝「薬師三尊像」やそれを安置する金堂、鮮やかな色彩の西塔、鑑真和上像など)がいいのは言うまでもないが、私はその周辺の風景がさらに好きである。何と言うか、それこそ日本の原風景とでも言えるのどかさやおおらかさが残されているからである。

特にお勧めは春と秋の風景で、この田園風景を眺めながら薬師寺や唐招提寺を巡るのがよい。高い建物はなくけばけばしいネオンサインはもちろんない昔の日本の田舎そのままの風景と雰囲気は何となく落ち着くのである。世の中が進歩しても、こういう風景だけは長く残ってほしいものである。

「大和路は稲穂たわわに頭垂れあかねも低くのぞき見飛行」

「たそがれて茜空なる西の京 巻雲高くすすきのごとし」
1
タグ: 奈良  西の京



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ