2011/8/25

お酒の常習性  短歌

お酒には常習性があることを改めて痛感した。というのは、先月の六甲山での不整脈以来、お酒の量をグンと控えているが、そういう状況でたまにお酒を飲んだら少しの酒でも早く酔いが回るのである。またその酔い方も従来とはかなり違ったものである。

昨夜も、研究会の後の懇親会があったが、いつもなら2杯めからは焼酎にするところだが今回はビールにした。しかも迷ったあげく、3杯で止めておいた。従来なら焼酎をあと1〜2杯は飲んでいたところである。

焼酎をビールに変えただけでなく飲む量も抑えたら、帰宅してからの寝付きもよいし翌日の寝覚めもよいことがわかってきた。そのうえ、最近は週に1回くらいの休肝日を設けているので、たまに飲んだら量が少しでもクラクラとするほどである。

これらのことから酒にはやはり常習性があることを実感した。だとすれば、タバコと同じくやはり惰性というか慢性的な飲み方は身体にはよくないのだろう。

お酒を控えるようになってからは、体重もジワリと減り始めている。最近の色々なできごとを踏まえて、年令相応の食生活に変える決意を新たにした。

「同じ酒同じ量でも酔ひ方の違ふを知りて休肝誓ふ」

「久々の酒強く効き改めて酒の怖さと限界を知る」
2
タグ: お酒 常習性 休肝日

2011/8/23

有言実行の人  短歌

私の周りには有言実行の人が多い。このブログにもたびたび登場する登山同好会のS医師や先輩社長などはその典型である。

例えばS医師は、宴会が大好きでしかも何でも残さずに食べる健啖家である。魚などは身はすべて食べ切るのはもちろん魚の種類によっては骨までしゃぶり尽くすくらいである。しかしそういう食べ過ぎた日は必ず一駅か二駅遠くまで余計に歩いてカロリーを消費させてから電車に乗って帰っている。

またあの先輩社長は、何ごとにおいても計画的で、毎年の事業計画の作成とその実行への執念は人並みではない。そればかりか、若いころから死ぬまでの「人生のロードマップ」まで作成していて、自分の人生を4段階に分けている。今はその第3段階で、仕事を辞めた後の家族と趣味三昧の時期が第4段階になっている。

私の友人にはそういう人が他にもいる。また不言実行の大切さを説く人もいる。しかしながら私は、あるべき姿や目標を宣言して実行計画を立てその実現に向けて最大限の努力をする有言実行のほうが難しく意味があると思う。

口だけの評論家が多い中で、お手本の人が周りに何人もいるというはありがたきことである。友に学ばねばならないことはたくさんあるが、私が一番学ばねばならないのは、この有言実行の姿勢と努力である。

「人前で己の目標公言し愚直に果たすことの気高き」

「人生のロードマップを自作してその実現を目指す尊さ」
3

2011/8/21

美しき誤解  短歌

自動車運転で気になるマナー違反やルール違反については何度かここで書いてきたが、ますますひどくなる実情から、あえて再度取り上げることにした。今回は特に、右左折など進路変更時のウィンカーと薄暮やトンネル内でのライトの点灯について、すなわち「合図」について考えたい。

右左折時に直前までウィンカーを出さず、甚だしきは実際に右左折を始めてからやっとウィンカーを出したり、一切出さずに右左折する車両がどんどん増えている。また薄暮やトンネル内でもライトをつけずに走行している車も増えているようだ。一部の人に理由を聞いたら、「ライトの電球の消耗(球切れ)がもったいないから」とか、「ウィンカーの音がうるさいから」という答えが返ってきたので唖然とした。

さらに聞いて行くと、「ウィンカーは直前であっても、出しさえすれば問題ないでしょ?」という答が多い。それは間違いで、ウィンカーは進路を変更する30m手前からその行為を終了するまで出すことに法規で決まっている。だから実際に曲がり始めてから出すというのは法規違反である。

また「自分は目がいいので(あるいはトンネル内の照明が明るいので)十分見えるからライトは点けない」という答も多いが、これも間違いであり法規違反である。そもそも、薄暮やトンネル内でライトを点けるのは自分の進路を照らし出すためだけではなくそれ以上に、自車の存在や動向を周囲の車やドライバーに伝えるためなのである。

これらの違反については断じて看過するわけにはいかない。なぜなら、道路というものは自分一人で使っているものではなく、大勢の人達で共有し共用しているものだからである。従ってそこには、互いの車の現状やこのあとの動向を知らせ合うための様々な「合図」が決められているので、それを守らないと正常で円滑な交通の流れや安全を守れないからである。

ネットへの書き込みなどを見ると、これらの違反についてはどうやら全国的な傾向らしい。しかし繰り返すが、これはマナー違反ではなく法規違反である。車の性能が向上し高速道路を走行することが増えた今日、一旦事故が起きたらその衝撃やケガの度合はかつてないほどに大きくなっている。「美しき誤解」(一見筋が通っているように見える誤解)に早く気づき、お互いがルールや法規を守り合うようにしたいものである。

「交通のルールを守れる人たちは心にゆとり周囲に目配り」

「交通のルールを守れぬ人たちは余裕のなさと自己チューゆゑか」
1

2011/8/19

制度を創れる人は壊すこともできる  短歌

世の中には制度を創れる人とそうでない人がいる。また制度を創れる人は制度を壊せるとも言われる。人事の制度についてもまさにそれは当てはまるようだ。先月から始まりこれから毎月2回程度担当することになったある大手メーカーでの50才社員対象の節目研修の打合せのときに感じたことである。

その企業では、10年後の労務構成をシミュレーションしたら50才代の割合が10%台から30%台に急増する。そういう背景もあって、今年から社員自身が早期退職や再就職支援の委託や現在の会社への定年後再雇用などを選択できる制度を導入予定である。そのために社員が自分の将来ビジョンを描くことを勧め、自分の選択すべき道をじっくりと検討できるようにしようとの配慮からの研修である。

そういう趣旨であるため、この研修は通常の研修部門ではなく人事部の企画部門が担当している。従って研修の事務局はいわゆる研修担当者ではなく人事企画の担当者である。この人たちがまた実に熱心であり打合せをしていても常に最上・最高を目指していることがひしひしと伝わってくる。研修担当者が最上を目指す努力を怠っているとは言わないが、そこにはいい意味での新鮮さがあるのである。そのわけを考えてみた。

人事社員の中でも制度を新しく創り出して導入する制度企画の担当者という人たちに共通するのは、やってみなければ結果はわからないという不安と共に何かを生み出すことへの喜びのようなものがあることだろう。そして同時に、自分が創ったものが何年も経って陳腐化したと知れば、躊躇なくそれを改良したり壊したりもできる。ところが他人が創った制度を受け継いで守って行く立場の人達にはそれはなかなかできないものである。

言うまでもないが、制度を創ったり壊したりができるということは決して無責任なことではないし、自分の創ったものには人一倍の愛着を感じているから平気で壊せるわけはない。しかしむしろ、陳腐化して実情に合わなくなった制度の末路を平気で見過ごすことのほうがそれ以上に辛いのであろう。

制度ではなく子供にあてはめて考えてみたらなおさらよくわかるのではあるまいか。自分で創ったものには愛着が湧くのは当然であるが、その分それに対しては厳しい見方や接し方をするものである。それは自分が創ったのだという「責任感」を感じているからではないだろうか。今回の研修事務局の真摯で妥協を許さない熱心さはそこから生まれてきている。そう感じたのは私だけではないはずだ。

「自らが創りしものへの愛着は深く厳しく
そのうへ険し」

「いつの世も制度の改廃難しく責任感の強さ試さる」
2

2011/8/17

エンディング・ノート  短歌

先日のハーモニカ同好会の練習日の休憩中に「エンディング・ノート」というものの存在を知った。どうやらそれは、「自分が意識不明の重体状態になった時に延命措置はしなくてよい」など「イザというときの措置」について自分自身が元気なうちにその基本方針を家族宛に書き残しておくものだそうだ。それにより、残された家族はあれこれと迷わずに対処ができるという趣旨からのものらしい。

それには、葬儀の規模などのやり方や、その際の連絡先や、遺骨の納め先、遺言書の有無までも書き込むようになっているそらしい。また驚いたことに、そういう書式はノート形式で大手の事務用品メーカーからも発売されており、結構売れているそうだ。いやはや、長寿社会となった今、意外なものがヒット商品となっているらしい。

そう言えば、今朝前々職の会社のOB会のホームページを見ていて気がついたのだが、私より2年先輩の技術者が今月7日に亡くなっていることを知った。早速何人かの先輩に確認してみると、最近ある内臓のガンが発見され馴染みの病院で手術をしたところ無事成功に終わったのだが、退院を待っていたときに急に容体が悪くなり急死されたと聞いた。春の大震災の被害に遭った東北出身の彼の母親は95才でお元気らしい。

折しも今日は、今朝届いた訃報に従って通夜に出かけた。これも前々職の同期の男性の葬儀である。昨年の秋ごろまでは元気でゴルフもやっていたし、10人くらいの常連メンバーの中では群を抜いてうまいゴルファーであった。64才での死はちと早すぎるのではないか。そういう事例を目の当たりにして、60才を越えたら誰にも「エンディング・ノート」は必要だなあと感じた。そういうわけで、早速私も「エンディング・ノート」を購入することにした。

「生前に自分の意思を明確に表はしてこそ務め果たせる」

「次々に我と変はらぬ年かさの早世を知り呑む手止まれり」
2



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ