2011/4/30

自己チューの正体見たり  短歌

町を歩いている時や電車の中などで、傍若無人な振る舞いの自己チューにはつくづく腹が立つし、気のせいかそういう人が増えているように感ずる。

しかしながら最近は、自己チューとは気の毒な人たちだと思うようになった。それは、自分のことだけで精一杯の人であり、周りが見えない人なのだと思うようになったのである。

そう考えると彼らのことがそれほど腹立たしくなくなるから不思議なものである。気の毒でありかわいそうであり、哀れむべき存在である、と感じられる。

それにしても、自己チューな人の何と増えたことだろう。大震災のあとの日本人の秩序正しさや沈着冷静さが諸外国から賛辞を受けているが、あれは東北地方にだけ残された美風なのであろうか。

こんな状態では、「国家の品格」の中で藤原正彦さんが述べていた「惻隠の情」などは望むべくもない。人間の人間らしいよさは、文明の進化とは反比例して退化するものなのだろうか。そんなことをふと考えてしまった。

「己のみよければよしと考へる人の増へたる世ぞ疎ましき」

「自己チューの正体見たり気の毒に周りの見へぬあはれな人よ」
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2011/4/28

残念な会社  短歌

ひところ「残念な人」ということばが流行したが、「残念な会社」というのもあることを改めて知った。しかも続けざまに二社も出てきたのには少々驚いた。実は、最近になって人事評価制度を導入したいという会社が次々と現れたので、どこも同じ課題を抱えているのだなあ、お役に立ちたいなあと考えていたところ、イザとなったら両社とも辞退してきたのである。

各社には各社なりの事情があるのだろうと思いつつ理由を聞いてみると、どうやら両社には共通点があることが見えてきた。すなわち、オーナーであるトップがせっかちで、即効性のある施策を優先して、評価制度や組織活性化策を後回しにしてしまったのである。

トップの焦る気持ちもわからないではないが、それでは短期的な効果しか期待できないのは自明の理である。両社ともそれがわかっていないのである。オーナー会社なら、サラリーマン社長の会社とは根本的に違う面、つまり長期的な判断がやりやすいという面を持っているはずなのに、サラリーマン社長の会社と同じ短期的な判断をしているようでは、オーナー会社の意味がないではないか。

よく言われることだが、トヨタもソニーもパナソニックも開業当初は町工場であった。しかしながら、そのあと大企業に発展したか町工場で終わったかは、長期的視点の有無や、たとえ創業家以外でも適任者に任せることができたかどうかと、人材に投資したかどうか、だけの差なのである。

それができなかった会社こそ、残念な会社と言わざるを得ない。しかしながら現実には、そういう会社の何と多いことか。そういう「残念な会社」を「伸びる会社」にしたい・・・、当社の事業の基本理念を再確認した次第である。

「オーナーの思ひどほりになる会社ゆゑに社員の気持ちをつかめ」

「組合のなき会社こそ組合の気持ちになりて先行き示さん」
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2011/4/26

それぞれの義援金  短歌

東日本大震災から一ヵ月半が過ぎたが、この間いくつかのチャンネルを通じて義援金を送ってきた。主なものは赤十字を通じたものであるが、それ以外にもいくつかの寄付を行った。

例えば、大学時代のクラブの同窓会の時は、会合そのものの開催が躊躇される雰囲気もあったのだが、あえて強行する代わりに参加者全員から1000円ずつの義援金を徴収して寄付した。

また、よく使う駅の改札前での若者達の呼びかけや、時々行くお店のカウンターに置かれた箱にも、少しだけだが義援金を入れた。

今や、テレビ番組を含めて日本中どこへ行っても義援金を募集している。またその活動はずっと継続されているようだ。ボランティア活動も、阪神大震災以降だろうか、この国に定着してきたようだ。

日本人のどこにこういう気持ちが潜んでいたのだろう。しかしどうやらそれは習慣化したようにさえ見える。そしてそのやり方も様々である。こういうものはあくまで気持ちが大切なのだから、それぞれの気の済む、それぞれのやりやすい形でやればいいのだと思う。

「震災の復興願ふ人々の気持ちを集め心を贈る」

「震災の被害に心動かされ思ひ思ひに支援を送る」
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2011/4/23

来るときは来るものだなあ  短歌

起業してから3年半が経過した。この間、仕事が来ないときには全くと言っていいくらい来なかったが、来るときは次々と来るものだなあと感ずる。

先日、先輩社長ともう一人の親友との三人で久しぶりの会食をした時にも、二人は私のことを親身に心配してくれると共に、自分の仕事を安売りするな、などいくつかのアドバイスをしてくれた。ありがたいことだと考えていたところ、それが通じたのか、次々と仕事がやって来ているから不思議なものである。

もともと私はこれといった営業活動もしていないので、これまでもほとんどの仕事は人脈を通じたものばかりであるが、今回のそれらも基本的には同様で、知人や友人からもたらされたものばかりである。

しかしながら今回は、従来とは少し趣が違う面がある。それは、知人の知人という、従来以上に間接的な人からの紹介が増えてきたことである。また同じクライアントからの所謂「リピートオーダー」も出てきたのである。自分なりにはこれはすごく嬉しいことであり、人事コンサル冥利に尽きると言える。

新年度のスタートにあたり、今年度以降もこういう仕事が少しずつでも増やせるようにしていきたいものである。

「やりたしと思ふときには仕事来ず忘れたころに来るは悩まし」

「ありがたし人から人への口コミの仕事は次から次へと通ず」
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2011/4/19

そばのうまい店  短歌

関西にはうどんのうまい店は多いが、そばのうまい店は少ないようだ。しかし私は親父ゆずりのそば好きなので、困ることが多い。それでも探せばあるもので、我が生駒市の周辺にはいくつかのうまいそば屋がある。

一つは生駒山の中腹で、例の暗街道(でも国道)沿いにある。そこは自動車には狭すぎるくらいの道なのだが、予約なしでは入れないくらい流行っている。しかも、お客はなぜか女性のほうが多く、また人気メニューは十割そばなどの単品よりもサラダやデザートがつくコース料理のほうである。

また最近行った別の店は、京阪奈学術都市の一角の住宅街の中にある。店は普通の住宅を改築したもので、アットホームな雰囲気がセールスポイントのようだ。こちらも半数以上は女性客で、特徴は細い麺にある。

そんなことを考えていた矢先に、久しぶりの東京出張の機会があり念願のそば屋での会食をした。東京にはこういう店が多いのでありがたい。刺身や豆腐や焼鳥などと焼酎を楽しんだあとの「締め」をそばでやるのである。

今回の出張では、二日目には日本橋のあなごの専門店で、クライアント会社の会長から昼食をご馳走になった。今まで食べたことのない柔らかくて美味しいあなごであった。私の味覚はどうやら東京や関東のものが合うのかもしれないと感じた。

「関西にゐて関東のそば食らふときの醍醐味何にもまさる」

「好物のそばを探しておちこちに求めし店の風情さまざま」
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タグ: そば屋 うどん 生駒



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