2010/11/29

心豊かになるひと時  短歌

一昨日の夜は遠い親戚の家で開かれたミニコンサートを聴きに出かけた。そこは我が故郷の和歌山市へ向かう途中の大阪府南部の地方都市で、その家は今では珍しい茅葺き屋根の家である。

初めて訪れたその家は、およそ400年前に建てられたもので、住むにしてはさすがに荒廃が激しいので30年くらい前に大幅な改修をしたそうだ。内部は天井も高く、見かけよりは随分広いし、近代的に改装されていた。ほぼ同じ時期に建てられた近所の二軒は重要文化財に指定されたので住まいとしては使用できないそうだ。

一軒分の茅葺きの費用は今では1000万円くらいかかるそうだから、維持費はなかなかたいへんなようだ。しかし、秋の空にしっかりとそびえる茅葺きの屋根はなかなか趣がある。

19時から始まったコンサートの前半は、ホルンを中心にしたピアノとバイオリンのトリオによるブラームスの三重奏で、後半は別の演奏家によるピアノ独奏で曲目はムソルグスキーの展覧会の絵であった。

生演奏のコンサートそのものが久しぶりであったこともあるが、茅葺きの家を改修した会場の音響は予想以上に素晴らしく、久々に心豊かなひと時を過ごすことができた。人間という動物は、たまにはこういう情操的な時間を楽しむのがいいんだなあ、これは得難い時間だなあとつくづく感じた。

「茅葺きの家で小さきコンサート秋の空気をほのぼの温(ぬく)め」

「晩秋の和泉南部の茅葺きにホルンのやはき音色沁み入る」
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2010/11/27

大学キャンパス内探訪記その2  短歌

今週もある大学でのキャリアデザイン論の講義に出かけてきた。早いもので、今週でもう7回めとなるから、全体のちょうど半分を終わったことになる。今回も1時限めと4時限めの合間にキャンパス内を探訪してみた。

学生会館の一階にはコンビニがあるので覗いてみると、店内は普通のお店とそんなに大差はないようだ。強いて言えば、大学内の店らしく文房具の種類が多く、コピー機の数が3台あるくらいで、他には取り立てて変わった点はない。

コンビニを出てしばらく歩くと、「松籟庵」という和風建築の平屋の建物を見つけた。横の標札を読むと、1975年に松下幸之助氏の寄贈した資金をもとに卒業生やその父兄や大学関係者の協力金を得て建築されたもので、茶道や華道、書道、筝曲など日本文化修業の道場として長年活用されてきた建物らしい。

こういう思いがけないところにも我が和歌山の偉大な先輩である松下幸之助翁の息のかかったものがあることに驚いた。またこの大学と翁とにはそれほどの関係があったことを改めて知った次第である。

「ふるさとの誇り松下幸之助今でも我の周りに在りて」

「大学のキャンパス歩き重ねればひとつまたひとつ新たな発見」

             < 松籟庵 >
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2010/11/25

サービスの本質  短歌

世の中には様々なサービスの仕事がある。最近では各地の病院ですら、サービスやCSなどに注力している。病院を意味するホスピタルの語源がホスピタリティーであることからもそれは正しい取り組みと言えるだろう。

ほんの一例だが、私が最近目にした、いいなと感じたサービスには次のようなものがある。決して高くない日本料理店でテーブルに置かれている手作りの箸置きを見たとき、バスツアーの途中で立ち寄った土産物店で、店のたくさんの従業員が帰るバスを手を振って見送ってくれた姿、テレビの設置に来てくれた配達員が新しい靴下に履き代えてから我が家に上がったこと、などである。

これらに共通するのは、決してお金をかけたのではなく、お客のために「ひと手間」かけてくれている、それが感じられる瞬間に嬉しさやありがたさを感じるということであろうか。思いやりの心で、お客の立場に立って考えるということでもある。すなわち、ものではなく心のやり取りである。特に、期待していなかった時や期待以上であった場合の感動は大きいものである。

またサービスの良否というものはそれを提供する側ではなく受ける側が判定するものであることだけは間違いないようだ。ということは、提供する側がこれくらいやれば十分だろう、ということで終わるものではなく、受ける側がほんとに感じてくれたかどうかの結果まで確認するべきものだろう。そうしてこそ報われるし、次の新たなサービスにつながるのではないだろうか。

私たち人事の仕事もサービスの仕事である。だとすれば、受ける側の気持ちを十分察しているか、提供側の独りよがりになっていないか、私たちもよくよく振り返ることが必要だなあと、ふと感じた。

「サービスの本質見たりひと手間を惜しまず客の気持ち先取り」

「もてなしの心が客の感動を呼ぶサービスは語り継がれん」
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2010/11/23

大画面テレビ雑感  短歌

先日、我が家のテレビを買い替えた。これまで使っていたのは37型でまだそんなに古くはないのだが、12月からはエコポイントが半減するという話を聞いたのと、大型テレビがかなり安くなっていることを知り、近くの電器店まで出かけた。46型で13万円台が何台も並んでいるので、その場で購入を決めたものだ。そのテレビがようやく昨日我が家に届いた。

従来の大きさでも何らの不満も不自由さも感じていなかったが、やはり大画面は迫力が違うようだ。それはニュースなどの映像ではあまり明確には分からないが、大河ドラマなどのように従来から毎日あるいは毎週見ている番組を見ると明らかにこれまでとは違った臨場感に気づく。これが大画面テレビの魅力なのだということに遅まきながら気がついた。

40年前に会社に入り初めて配属されたのが輸出用カラーテレビの事業部だったから、最初の1〜2週間は工場で製造実習させてもらったものである。その時には当然、画面はブラウン管式であったから、裏ぶたを外すと大きなブラウン管がデーンと居座っていた。そのブラウン管もやがて広角のものが出てきて少し薄型になっただけで「新製品」として飛ぶように売れた時代もあった。それが今ではこんなに薄くなったのだから夢のようである。また画面の大きさも、当時は大きなものでもせいぜい20インチくらいが主流であったと記憶している。ブラウン管方式では実現できなかった大きさであり、その技術の進歩にはしみじみと感動する。

それにしても大画面テレビの価格も安くなったものである。30型以下なら数万円が当たり前の価格のようである。同じ耐久消費財でも、自動車の場合は新製品が出るたびに価格が上がって行くのに対して電気製品はなぜこんなに値下がりが激しいものかとサラリーマン現役時代は嘆いたものである。だが今は、一消費者としてその低価格の恩恵を受けている。このこと一つを取り上げても、電器メーカーの経営はますます難しさを増しているのだろうと感じられた。

この狭い日本には、売り上げの伸び率と比較すると多すぎる数の電器メーカーが残っているので、そう遠くないうちにはまだまだ業界再編が加速されていくであろうが、その時に生き残れる決め手は、技術力か価格力か経営力かはたまたブランド力か・・・、いずれにせよ難しいかじ取りが求められるのは間違いない。後輩、現役の皆さんの活躍を心から祈るばかりである。

「大型のテレビ買ひ替へつらつらと四十年の昔を偲ぶ」

「テレビには買ふ側見る側つくる側すべての思ひ詰まるを思ふ」
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2010/11/20

竜田川の清掃に参加して  短歌

今朝は9時から自治会の行事で竜田川の清掃に駆り出された。天候はまずまずである。今回は市役所からも担当者が出て大がかりなものとなった。市が以前から展開している「川をきれいにしようキャンペーン」に応えたものであるようだ。妻と二人で集合場所に着くと、定刻の10分前にもかかわらず既に60〜70人くらい集まっていて、お揃いの手袋とタオルと大きな透明ゴミ袋が配給されている。

定刻には100人以上にはなっただろうか。西と東の各自治会ごとに竜田川にかかる橋の名前で担当の区間が示される。3年前に転入したばかりの私にとっては、日ごろは渡らない少し上流の橋の名前を言われてもピンとこないが、大半の人達は地元に定着している人が多いせいか、すぐに持ち場に散って行く。我々夫婦は同じ班の人のあとを着いて行くばかりである。

手慣れている人の場合は、作業がしやすいように自宅から鎌や火バサミ(懐かしい!)や小さいスコップなどを持参している。我々二人は無手勝流よろしく軍手を履いた手で落ち葉を集め、ビニール袋や空き缶を拾っていく。川の清掃が目的なので、川沿いの道路だけでなくガードレールをまたいで内側に入りコンクリートブロックよりは上の草の斜面を順に下って行くことにした。

思えば人間の手というのは便利で都合よくできているものである。熊手のように落ち葉をかき集めることもできるしそれをつかんでゴミ袋へ入れることも、一杯になったゴミ袋の口を閉じることもできる。まるで熊手のように・・・と思いかけたのだが、いやいやそうではなく人間の手を真似して熊手ができたのだろう、などとくだらないことを考えながら黙々とゴミ集めをやっていると初冬にもかかわらず、汗が噴き出してくる。

百人一首にも「ちはやぶる神代も聞かず龍田川からくれなゐに水くくるとは」(古今集)と在原業平の詠った歌が入っているあの竜田川も一時は相当汚れていたらしいが、こういう自治体や地域住民の地道な努力によって今では大きなコイや小魚たち、そして水鳥が遊ぶきれいな川に戻ったようである。この川は大阪市南部の代表的な川である大和川の支流でもある。水の汚さで全国ワースト1の連続記録をもっていた大和川の水質が急激に回復しているのも、こうした努力のおかげかもしれない。

1時間余りの作業ではあったが、久しぶりにいい汗をかく時間を経験できたし、住民としての務めが果たせた気がした。

「紅葉のころに竜田の川辺りを清掃しつつ業平しのぶ」

「越してきて早や三年の時流れやうやく地元の人らとまじる」
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タグ: 竜田川 清掃 自治会



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