2010/8/30

明日の自信につながる反省会  短歌

昨日は、CDA勉強会の参加メンバーによる反省会に参加してきた。振り返れば、昨年12月からスタートしてスクーリングや一次試験とその勉強会、二次試験とその勉強会など、約9ヵ月間にわたる長い闘いの期間であった。

その最終結論の出る9月11日を目前にして、昨日は受講者と指導者が入り混じっての反省会である。先ずは、先日の二次試験の内容の振り返りと全員での共有化の作業である。当日の運営面での気づきや課題・テーマ内容、面接時の質問や自分の回答内容などについて、一人ずつ順に報告していく。

私だけでなく、ほかの受験者も当日の反省点ばかりを述べ、そのままであるなら全員が不合格になりそうな印象である。しかしそれはあるはずもなく、確率的にはこの中の半分くらいは首尾よく合格するはずである。皆さんは謙虚なのかもしれないが、私自身は、面接時に余計な反省点まで馬鹿正直に答えてしまったので、今回は不合格を覚悟している。

しかし参加者同士の振り返りの中からCDAとしてのコツのようなものを感ずることができたので、仮に不合格であったとしても次の機会には何とかなるような手応えを得ることができた。また万が一うまく合格していた場合にはそれを今後の自信にできそうに感じた。明日の自信やその気づきにつながるものこそ本当の意味での有益な反省会なのではないかと感じた次第である。

「お互ひに謙虚に述べる反省の意見の中に隠れる自信」

「他人には謙虚に話す反省会 慰労会では自信比べか」
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タグ: 反省会 CDA 自信

2010/8/28

ある研究会の合宿に参加して  短歌

昨日の夕方から今日の夕方まで、ある研究会の1泊2日の合宿に参加してきた。それは、人と組織の活性化研究会、略称APO研究会(アポ研)である。この研究会は、1998年4月に設立され、今年で13年目の活動に入っている異業種交流の研究会である。現代経営研究学会や経営行動科学学会での2回の学会発表に飽き足らず、1996年12月には会員の内の8人の共著によりプレジデント社から「なぜあの人はイキイキとしているのか」というビジネス書を刊行している由緒ある研究会である。

私は他の業務が忙しいことと、研究会メンバーが100名を超え「研究会」というよりは、ぶら下がり的な人が多い「勉強会」になってきたことで当初の興味を失いつつあったことにより、最近ではあまり積極的には参加できていなかったのだが、今回はまた11月に経営行動科学学会での発表の場が確保されたということを聞いたので、その合宿に参加したのである。今回のテーマは、前回の出版のときの「個人のイキイキ」を踏まえた「組織のイキイキ」である。

参加者は12名、業種や職種はもとより年代も性別も様々である。1日目の夜は、軽いアルコールを交えてフランクな雰囲気の中でのフリーディスカッションであったが、その論議の一部始終はICレコーダーに録音されていた。2日目の今日はその論議を踏まえて深堀りを行い、午後からは顧問である神戸大学大学院の加護野教授にも参加いただいてのまとめを行った。お蔭さまで、論点整理と今後の各人の役割分担も合意できたので、あとはその他のメンバーへの協力依頼と個人インタビュー、その分析・分類などの作業が待っている。

もとより誰からの指示でもなく自ら進んで研究に参加し、このあとの作業についても自ら進んで取り組んでいく集団である。今後は各人の本業とは別に様々な分担作業が発生すると思われるが、こういうことをやっている限り、参加者の表情にはやらされ感はないので、疲れもないし不満もない。あるのは充実感と目標意識だけである。こういう集団に参加できて満足感、達成感を感じつつある自分の姿がそこにあった。

「やらされていやいや果たす作業とはおのずと違ふ仕事のありて」

「久々の半分徹夜の合宿の夜は短く寝起きの早く」
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2010/8/25

お天道様は見ているぞ  短歌

私の自宅の最寄駅はローカル線の駅なので、夜9時を過ぎると駅員が不在となってしまう。そのせいでか、この駅で降りる乗客の一部は正式な改札口を通らずに、その脇を通り抜けて数メートル線路を歩いて反対側へ渡る人がいる。

それは定期券の人達なのだろうか、定期券であるにしても、改札口を通らなくてカードの記録はおかしくならないのだろうか?いずれにせよ、本来のルートを通らずにすり抜けて行くのは感心できない。

こういう場合、私がよく言うのは「お天道様は見ている」ということである。誰も見ていないようでも必ず誰かが見ていると思う。いや、誰かが見ていても見ていなくても、やっていいことと悪いことは自分自身で判断して行動すべきである。

「お天道様は見ている」・・・人知れずいい行いをした場合にもそういう言い方をする。お天道様は自分自身の心の中にあるのだろう。

「人知れず為したよきこと悪しきこと必ず見てゐるお天道様」

「見てゐないからとて傍若無人ぶり手を当て反省己の胸に」
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2010/8/23

45年ぶりの声が届いた  短歌

先日、45年ぶりの声を聞くことがあった。高校時代の同級生で3年生のとき同じクラスにいた人物である。前記したように、私は高校3年時のクラス会の幹事をずっと引き受けて最近では2年に1回の頻度で開催しているが、彼には毎回案内状は送っているものの返事はなくもちろん参加もしていないので、どうしているのかと時々は思い出している人であった。その彼から、突然に電話がかかってきたのである。

欠席であっても彼には毎回、最新の名簿や全員写真を送っていたので、いつかは彼も参加してくれるのではないかと期待して彼の携帯電話番号とアドレスは登録していたので、着信した瞬間に彼からの電話であることがわかった。

彼の声は昔のままで若々しかった。何かのこだわりか事情のためこれまで連絡をして来なかった彼が急に連絡をくれたのはどういう理由なのか、その電話では聞けなかったが、次回くらいに私が東京に出張した時には東京で会おう、と約束できたので、その時に尋ねてみよう。

人間やはり、ある程度の年令になると昔のことが急に懐かしくなると言うが、そのせいだろうか。そう言えば数年前、それまでは同窓会なんてと言っていた人がある時から人懐かしくなって参加し始め、以降はクラスの中でも一番熱心に参加してくれるようになったデベロッパー社長がいるのを思い出した。いずれにせよ、驚きと懐かしさと嬉しさの入り混じったひと時であった。

「高校を出てから初の懐かしき電話の声の若さ弾みて」

「あのころは若き瞳のやさ男還暦すぎても声の変はらじ」
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2010/8/21

新しい習慣  短歌

早いもので、愛犬チャッピーの急死から今日で2週間となる。いわゆるふた七日である。今でもつい、彼がいつもいた場所に目が行ってしまう。そしてすぐに「ああ、もうチャッピーはいなくなったんだ」と、思い返す日々が続いている。思い出すのはつらいのだが一方では運動不足も気になるので、最近はこれまでの彼との散歩コースとは違うコースを私一人で歩くようになった。

右手首の骨折からも40日以上が過ぎた。4週間目からはギプスも肘を出せるくらいに短くなったことと左手中指の添え木が外されたおかげで、左右の手がかなり自由に使えるようになった。それでも骨折以降は、自宅の階段でもそうだが駅の階段では必ず手摺りのある場所を選んで歩くようになった。万が一を考えてのことであるが、それも自然に左手で手摺りをつかめる場所を選んでいる。

新しい習慣・・・、チャッピーが元気だったころと今とでは、何かが変わることにより毎日の習慣も変わってきたようだ。

「毎日の変哲もなき習慣の何か変はればつられて変はる」

「愛犬のいつもの場所に目をやれど今はケージのなきぞむなしき」
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