2010/6/30

近鉄電車に見習おう  短歌

二年半前に奈良県の生駒市に転居してからは、それまで40年間近くの京阪電車沿線から近鉄電車沿線になったので、景色だけでなく車内の広告や乗客の質まで何となく違う気がする。先日も、社内吊りの広告に写真と共に「生駒山の下を抜けるトンネルが開通してから100周年」という記事が出ていた。大阪と奈良を結ぶ鉄道のニーズは高かったのだが、当時は生駒山の南側の王寺町を迂回する国鉄(現・JR)しかなかったので、住民は不便を強いられていたそうだ。そこで近鉄の前身である大阪電気軌道会社の岩下清周社長が一大決断のもとに1911(明治44)年に着工したものである。

当時は、貫通トンネルという難工事よりもケーブルカーでつなぐという現実的なプランのほうが社内外で有力であったそうだが、岩下社長が「いや、将来に備えてできるだけ短時間で奈良と大阪を結ぶべきだ」と主張して現在のトンネルができたそうである。しかし工事は、地形の複雑さと湧水のために予想外の難工事となり、1913年の落盤事故では152名が生き埋めになり20名の犠牲者が出るなど、大きな事故に何度も見舞われながら3年の歳月を経て完成されたそうだ。

それが今から100年前だというから驚きである。先見の明というか、視点が高いというか、真に国民や市民の幸福や利便を考えていたのだなあと改めて感謝の念が湧いてくる。まさに「やるべきこと」や「あるべき姿」を考えていた一例といえる。それに引き換え、学級委員でもないのに1年ごとにコロコロ変わる今の政府や、党利党略のためにお互いに足の引っ張り合いだけしかしていないどこかの国の政党は見習うべきであろう。郵政よりも、いっそ国のほうを民営化したらどうか、などという極端な意見にも耳を傾けたくなるくらいである。

おかげで最寄の一分駅から2つ目の生駒駅からは大阪市の鶴橋駅まで快速急行ではノンストップの16分、大阪南部の中心地なんばまでも21分で行けるからありがたい。おまけに昨年からは阪神電車と相互乗り入れのおかげで甲子園球場へも、神戸の三宮までも乗り換えなしで行けるのである。近鉄電車は頑張っているなあ。これからも応援して、もっと乗客サービスの向上を期待しよう。

「百年の先を見越した計画のロマンを国も見習ふべきや」

「沿線を知れば知るほど愛着の度の深まりて誇る我が町」
1

2010/6/28

心身のバランスの重要性  短歌

昨日は山歩き同好会の例会で京都南部の伏見丘陵まで出かけた。梅雨のさ中ではあるがたいした雨もなく直射日光も少なかったので、比較的暑さがましな一日であった。それでも日焼け止めを塗り忘れた二の腕の一部は赤く日焼けしていたから曇りの日でも紫外線は強いことを体感した。

今回の参加者は6名、集合は御香宮神社前である。御香宮は「ごこうぐう」とも「ごこうのみや」とも呼ばれるが、神功皇后を主祭神とする伏見地区の産土神である。その昔、境内から香りのよい水が湧き出しその水を飲むと病が治ったので清和天皇から「御香宮」という名を賜ったと伝わっている。また明治元年の鳥羽伏見の戦いには、官軍の本営となった場所でもある。

御香水で口をすすいだ後は東へ進み明治天皇御陵に向かう。天皇・皇后の陵は、大正天皇以後は東京都八王子市御料地内の武蔵野陵墓地に作られることになったそうだが、明治天皇の場合は京都で生まれ育ったので京都に埋葬されることを願っておられたそうだ。広大な御陵の次は、東に隣接する皇后陵、少し離れた桓武天皇陵、そして乃木神社にも参拝した。乃木神社では「勝ち水」を飲み、社務所では「勝ちまくり」という名の「栗」を買い求めたが、これはいずれも今回の担当リーダーのS医師が、只今受験中の私のために設定してくれたご配慮なのである。

伏見桃山城の北堀の一部で昼食を済ませ、伊達町などかつての大名屋敷の名残を残す町名を楽しみながら最終目的地の、酒蔵が立ち並ぶ伏見の街中へ向かう。夕食までの時間は、これもリーダーが予約してくれていた有名な酒造会社の記念館に入り酒造りの工程見学と利き酒を楽しむ。衰退が伝えられる日本酒だが、一部の酒蔵はスパークリング酒を作ったり肉料理にも負けない強い個性の酒を作ったり、色々な努力をしていることも知った。見学後は、近くの有名店で早い目の夕食懇親会となる。ここの鶏料理はいつ行ってもうまい、行列ができるのは納得できる。

今回の例会で、伏見の水の主な水源が伏見桃山丘陵にあり、そこに御陵があることにより乱開発されないため伏見の水の質と量が保たれていることも学んだ。20時前にほろ酔いで帰宅して万歩計を見たら23000歩を示していた。久しぶりの山歩きの結果は期待と予想をはるかに上回る満足の、充実した一日になった。今回の担当リーダーには大いに感謝しなければならない。心身のバランスはやはり大切である。それをさりげなくわからせてくれた点でも彼はやはり名医と言えるだろう。

「久々の歴史訪ねる桃山の丘陵歩きに心も晴れて」

「下山後の体温下げるかき氷 水分糖分補給を兼ねて」
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2010/6/27

万歩計が泣いている  短歌

通勤生活をやめたのをきっかけに、運動不足解消と体力づくりのために昨秋から新しい万歩計を購入し、パソコンで「歩数管理表」を作成して毎日記録している。毎月末には1ヵ月間の平均歩数がわかるように、Excelに簡単な数式を登録してあるので、日々の歩数を毎晩寝る前に入力すれば直ちにその月の累計歩数と平均歩数がわかるようになっている。

昨年10月以降の月間平均は、10000歩までには届かないものの何とか7000歩くらいを前後していたのだが、先月はそれが6000歩くらい、今月に入ってからはそれすらも割り込む日々が続いている。いくらCDA(キャリアカウンセラー)の試験勉強のため家にこもりがちであったとはいえども、これではあまりに少なすぎる。心身のバランスが保てないというものだ。ましてや、スカッとした夏空の日は目の前の生駒山にでもぶらりと登ってきたい心境に駆られるが、それもできていない始末である。新しい万歩計もさぞや泣いていることだろう。

腰の痛みも全くなくなったし20日には1次試験も終わったので、ひとまずそこで一区切りをつけて、思い切り身体を動かすことをやってみよう。幸い今日は久々に同好会の例会が開催され伏見丘陵を歩くことになっているので、それを楽しみにしよう。


「久々に野山を歩き心身のバランス保つ生活目指せ」

「毎日の歩数を示す万歩計 無言で諭す運動不足を」
1

2010/6/25

行政とサービスの違い  短歌

官公庁のことを一般に「行政」と呼ぶが、これには大きな誤解があるようなので今後は呼び方を変えたほうがいいのではないかと感ずる。

官公庁には確かに行政とサービスの役割があると思うのだが、真に「行政」をしているのは国あるいは地方公共団体のうちのごく一部ではないだろうか。特に都道府県や市町村などの地方公共団体の場合は、そのほとんどが住民に対する「サービス」なのではないのだろうか。だとすれば、呼び方も変えないとそこに大きな誤解が生じているように思えてならない。

第一に、サービス部門であるかぎり、顧客すなわち利用者である住民が利用しやすい土日や夜間の時間帯にも窓口が開いているのが当たり前なのに、大半の住民と同じ曜日と時間帯にきちんと休みを取っている。最近ではようやく、住民票の交付など一部の業務は土日にも行っていて月曜日に休むコミュニティセンターができたりしているが、こんなのは民間のサービス業なら当たり前であって、正月ですら営業しているお店は多い。

第二に、顧客意識の低すぎるお役所が多い。最近でこそ、ハローワークなど一部の官公庁では利用者のことを「○○様」と呼んだりしてはいるが、取ってつけた感じは否めずどうもぎごちない印象である。本気でなく形ばかりだからであろうか。そもそも自分たちは誰のための仕事をしているのか、そして自分たちの給与はどこからもらっているのか、ということすら自覚できていないのではないかとさえ感じることがある。

名前というものは意外に大切な一面をもっており、「お父さん」とか「先生」と呼ばれているうちにその人もそれらしくなってくるように、「行政」ではなく「サービス」部門と呼んでいるうちに少しは本来の役割を思い出してもらえるのではないかと感じた次第である。

「行政とは俺のことかと役所言ひサービス部門の戸惑ひたるに」

「たかが名前されど名前の効高く呼ばれしうちにらしくなるかも」
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2010/6/24

現代「モラールサーベイ」考  短歌

昨夜は、かつての職場の同僚と二人で会食をした。彼とは本社の人事部門で、オピニオンサーベイ(モラールサーベイ)の仕事を共に担当していた仲である。年令も私より一つ下だけに何かにつけて好みや考え方も近く、また彼も所謂「修羅場」をくぐった人なので、昔からよく気が合う仲間の一人である。今回のきっかけは、私が今の仕事の関係でモラールサーベイをもう一度きちんと勉強し直したいので、私よりも長く担当しよく勉強もしていた彼に教えを乞うために時間を割いてもらったのである。

話題は、元の会社の経営動向から元の同僚や後輩の皆さんの動静まで広くに及んだ。その中で感心したのは、彼が元々の探究心や課題意識を失っていないどころか、むしろさらに一回り大きな定見を持って定年後の今の仕事に臨んでいることを知ったからである。例えば、20世紀には大きな役割を果たした日本の人事管理や人事制度がその役割を終えたかのように近年激しく姿を変え「効率中心の人事」が幅を利かせているのは、ドラッカーの信奉者が経営者の中に多いからである、と喝破していた。

そんな彼のことだから、サーベイに関する意見や見方にも大いに得るところがあり、実に有意義なひと時であった。サーベイの真の目的を知り、同時にその効果と逆効果という両刃の剣の側面がある道具であることを知り抜いていて、その道具を使いこなせる力をもっている人、もつべきはそういう友であることを思い出させてくれる時間であった。

「この夜に同じ時間を過ごしても得るもの多き友のありせば」

「世の中に宝と思ふものあれどげに誇れるはやはり友なり」
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