2010/2/28

人事部長の役割  短歌

人事部長の役割とは何だろうか?経営者の片腕となること、人事という仕事を通じて業績向上に貢献すること、従業員を元気にすること、人に関する問題を解決すること、そのための制度や仕組みを作ること・・・、色々な意見が出そうだが、どれが正解なのだろうか?

実は、そのどれもが正解だし、どれもが十分な正解ではないと思う。卑怯な言い方かもしれないが、時と場合によりそれは変わるし、会社の置かれている環境によっても変化するものだと思う。言い換えれば、人事部長はどんな環境や状況にも対応できなければいけないし、そのための能力や判断力が求められるのである。

ひと昔前なら、優秀な人材をいかにたくさん採用できるかが人事部長の主な評価尺度であったのに、最近では給料の高い人をいかにたくさん退職させるかが評価尺度になっている感すらある。

ところがその結果はどうだろう。ダイヤモンド誌の最新号によれば、日本を代表する国際企業であるあの電機メーカーももうひとつのライバルメーカーも、韓国のサムスンに比べたら企業力は格段に劣っている。しかも例えば企業の時価総額は2003年ころには逆転していたし、今では両社の3倍にまで到達しているというショッキングなデータが掲載されていた。激戦の薄型テレビの世界シェアも両社を足しても届かないくらいだし、米国特許登録件数にしても両社の合計をしのいでいるそうだ。

もちろん、それは人事部門や人事部長だけの責任ではないが、人事の責任は大きいと私は思う。ある時期は経理と共にリストラに注力せざるを得ないこともあるだろうが、私に言わせれば、いつまでそればかりやり続けるのかということである。「破壊と創造」の「創造」は、開発部門や人事部門など創造性を担当する部門がやらないと企業風土や従業員の士気は何にも変わらないのではないだろうか。両社をはじめとする日本を代表する企業の人事部門は21世紀にも発展し続ける企業づくりの解を早く見つけて普及させる義務を負っているのではないだろうか。

「いつまでもリストラによる短期的効果に甘へず」

「人事とは採用・給与・リストラをやるのが仕事と勘違ひすな」
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タグ: 人事部長 役割

2010/2/26

相談相手のいるありがたさ  短歌

昨日は、あるセミナーの企画の件で先輩コンサル社長と打合せをした。彼とは二週間ぶりの再会である。

なぜこんなに間が空いたかというと、彼が奥さんと遅いめの定年記念旅行のためパタゴニアなどアルゼンチン方面に出かけていたからである。久しぶりに会うなり彼の口からは満足感あふれる感想が語られた。奥さんの満足度もひときわということなので、こちらまで嬉しくなるくらいほんとによかったと思う。

そのあとの打合せは実に有意義であった。一人ではどうしても発想が狭くなったり堂々巡りとなる場合が多いものだが、二人で話し合っていると自然に論点が整理されてくるから、不思議なものである。

そういう相談相手が近くにいることのありがたさを改めて思い知った。彼の帰国が待ち遠しかったのは、そういう相談相手を待ち兼ねていたからなのかもしれない。さあ超多忙な二月と三月を相棒と共に乗り切ることにしよう。

「一人では見つかりにくい突破口二人で話せばスルスル解ける」

「一人では限界感ずることあれどコラボでこその効果発揮す」
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2010/2/25

我が家の気に入っているところ(その2)  短歌

我が家の気に入っているところの追加としては、大阪人にとって最も親しみのある生駒山の東面がすぐ眼前に広がることもそのひとつである。

標高642mの生駒山はまたテレビ各局のアンテナ塔が林立する山でもあり、近畿圏の多くの人がテレビの受像についてお世話になっている山でもある。下の写真で、山頂付近に赤と白のまだらのアンテナ塔が小さく見えるのがそれである。この山頂付近から我が家が見えた時にはどれほど嬉しかったことか、今でも思い出す。

昔から色々な人が歌に詠んだり唄を唄ったりして大阪人から親しまれている山を独り占めするくらいの近さで毎日見られるのは、このうえなく楽しいことである。その生駒山もここ数日はかすかに春霞みがかかったようにかすんでいる。そろそろ黄砂が飛びはじめる時期が近づいているのかもしれない。

以前にも触れたが、この山を毎日毎日見ていると四季の移り変わりがよくわかるし、慣れてくると明日の天候までもある程度推定ができる。いつまで見ていても飽きないものである。

「目の前にそびへて四季の変化をば我に教へる生駒峰かな」

「二階から窓枠越しに眺めたる生駒はまさに額縁の絵か」

  (下は、自宅付近からの生駒山・東面)

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2010/2/23

我が家の気に入っているところとその理由  短歌

我が家の気に入っているところは、玄関周りと風呂場が比較的広いことである。しかしこれには理由がある。

玄関周りについては、ある来客はこれだけあればあと一部屋作ったらよかったのに、もったいない使い方をするなあと残念がられた。しかし、母親と二世帯で住むために建てたのでそれぞれの部屋の独立性を保つための空間を確保しておきたかったのと、目の前が国道なので騒音対策のバッファのためやむを得なかったからである。

風呂場については、浴槽が身体全体を伸ばせるだけではなく出窓をつけたので通常よりは広々と感じる。これは、せめて入浴のときくらいはゆったりとしたいものだという、私のこだわりでそうしたものである。

また我が家を建ててくれた棟梁は頑固で偏屈な人であったが、腕は確かなのと高齢と持病のためこれで最後の仕事だからと、気合いを入れて建ててくれた。「二百年は間違いなく持ちます」と太鼓判を押してくれたことを確かめようがないが、頑丈さについては確かになかなかのものである。

早いもので枚方市からの転居から2年3ヶ月経ったが、このように自宅についてはますます満足している昨今である。

「住み替えて二年を過ぎて改めて我が家の出来に満足の春」

「玄関と風呂場の広さにこだはりし終ひの住家に心を込めて」
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2010/2/21

先達はあらまほしきことなり  短歌

最近は勉強漬けの毎日である。CDA(キャリアカウンセラー)資格については8回の通学勉強の半分は昨日で終わったし、3回分の通信添削も提出し終わった。EQプロファイラー資格についても3月と4月の通学と認定試験でひとまず終わる予定である。ようやくここまで来たか、というのが実感であり、飽きっぽい私の性格からするとよくもここまで来れたなあ、というのが正直な感想である。

年令からすると資格取得のための記憶の作業については辛い面も多いが、それを差し引いても学ぶことの意義は大きく、それなりに充実した毎日である。特に痛感するのは、「我流」でやっているのと、きちんとした理論を知り体系的に理解したうえでやるのとでは大違いだということである。

キャリアについてのカウンセリング的なことは従来もやってきたのだが、従来は説明がつかなかったことが専門家の理論を知ることによって説明できたり、従来のやり方が間違っていたり不足していたことに気づかされることが意外に多い。例えば、「キャリアアンカー」ということばは聞いたことはあったが詳しい意味は今回の勉強で初めて知ったし、「プランド・ハプンスタンス」(計画された偶然→偶然起きたことを最大限活用すること→偶然のできごとを積極的に作り出すこと)などという概念は、もし以前から知っていたらうまく説明できたケースがあったのになあ、というようなことが結構多いからである。

当たり前のことかもしれないが、やはり基本とか専門的な理論というものは重要であり有益である。「先達はあらまほしきことなり」という教えをつい思い出した。一方、直截な表現ではあるが、2件合わせて60万円の受講料の元を取らなければいけないことも動機づけのひとつとなっているだろう。

「人間のキャリアについて学ぶとき古賢の理論避けて通れず」

「職業や進路について支援するカウンセラーの役割多き」
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タグ: 先達 理論 基本



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