2009/5/31

建築家という仕事  短歌

日経新聞の「私の履歴書」は、磯崎新(いそざきあらた)さんの記事が今朝で掲載が終わった。

これもお恥ずかしい話だが、私は磯崎新さんという建築家のことはこれまでほとんど知らなかった。従って掲載が始まったころは全く関心がなく、ああこの30回分はパスだな、と感じていた。ところがそうは言っても自然に目に入ってくるので、何となく読み進んでいくうちにぐいぐいと引き込まれていったのである。

私はまた、「建築家」という仕事、職業に対しても誤解をしていた、あるいはよく知らなかった。彼の師匠である丹下健三さんや、先輩である黒川紀章さん、後輩である安藤忠雄さんなどについては、名前くらいは知っていたのだが、磯崎さんの履歴書を読み進めるに従って、それらの人がどんな人であったのかを知ったばかりでなく、磯崎さんのすごさを思い知らされた次第である。

「建築家」というものは、アーキテクトだから単に家や建物を設計するだけでなくその構造を考えるものというくらいの知識はあったのだが、そうではなくて、その仕事がひとつの地域や一大イベントや国を挙げてのビッグプロジェクトの基本構想についてまで及ぶもので、まさに無から有を生み出す「創造者」でもあることを知った。例えば、私が大学卒業後社会人となった年である1970年に大阪で開催された万国博までもが彼らの手によって基本構想が創られたことを初めて知ったのである。

もちろん、私のこれまでの認識のとおり、単に一軒の住宅の設計だけをやる建築家も多いのかも知れないが、こういう、哲学者かと見まがう建築家もいることを知った驚きは、まさに目からうろこの印象であった。このことを昼食時に、ある都市銀行出身の経理部長のNさんに話したところ、彼はもともと理系出身でかつ建築家を目指していたことがあったそうで、磯崎さんのことはよく知っていて、新聞に掲載されていなかったことまでたくさん教えてくれた。おかげで私は、Nさんについても今まで知らなかった一面を知ることができた。

60才を超えた今、まだまだ知らないことが多いことに愕然とした反面、感じたことは思い切って口に出してみることの重要さを思い知ったできごとであった。

「イベントや都市の構造つくるのは建築家とふ人の意思なり」

「図書館や博覧会の生みの親は建築家とふ創造者なり」
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2009/5/30

「モノ」でなく「コト」で繁盛する  短歌

「街かど情報室」だったか、先日のNHKテレビで、60年に一度の本格的な「皆既日食」にちなんで、日食を長時間見られる国や地域への「ツアー」が大人気だということが紹介されていた。まだまだ不景気だの不況だのという話題がくすぶっているこの時期にあって、キャンセル待ちが続出しているそうである。

思うにこれは、旅行やツアーにしても、美しい景色や高級な建物や美味しい料理などの「モノ」だけでは人は飽き足らず、60年に一度の体験をする、というような「コト」で人を魅了しようとしている、新しいビジネスだと感じた。しかしながら、決して新しいとばかりは言えない。

我田引水で恐縮だが、私が前職の健康保険組合に勤務していたとき、全国にあった15ヵ所の保養所を10ヵ所閉鎖して売却し、155名もの職員にお辞めいただいたのだが、こんなつらい経験は二度としたくないとの思いから、保養事業の建て直しを担当した。その際私は、きれいな場所、ゆとりのある建物、安い料金だけではお客は呼べないと考え、「コト」で集客をしようと考えた。

保養事業の収益性改善のためには、宿泊者数を増やすこと、特に平日の宿泊稼働率を上げることが一番だとわかっていたので、まずターゲットを定年後のOB社員とそのご夫婦においた。そして、1泊2日の「健康イキイキ教室」というプランを企画した。松下電器のOB会はその時期でも1万人以上おられたので、中では様々な趣味を持ったOBの皆さんが写真や書道やハイキングなどのクラブを作って楽しんでおられることを知っていた。そこで私は担当者に指示をしてOB会に相談させ、混声コーラス部と社交ダンス部を紹介していただいた。

吹田市千里山の保養所は規模も大きく、まるでシティホテルのような設備を持っていて、構内に結婚式ができる「チャペル」(神式の婚礼場も)を備えていたので、1日目の午後に集合してチャペルでコーラス部の演奏を聴く。20曲くらいクリスマスキャロルを聴いた後は、参加者も加わって全員で「文部省唱歌」の大合唱をして楽しみ、お腹を減らしたところでシェフご自慢のクリスマスディナーをふるまう。食後のカラオケも楽しみ、ぐっすりと眠った翌日の午前中は、社交ダンス部の皆さんの模範演技を鑑賞した後、文字どおり手取り足取りの指導を得てダンスを楽しんでもらう。そして2日目の昼食で行事を締めくくる。最初の「健康イキイキ教室」のメニューはこういうものであった。

ホームページほかでPRしたところ、申込み者は瞬く間に定員の2倍の60名(30組)を超えてしまい、同じ企画を2週連続して開催することとなった。これで勢いを得た私は、担当者と5人の支配人に、それぞれの保養所の独自のプランの作成を指示した。

栃木県那須の保養所では、6月に「ニッコウキスゲ」の群生地までショートハイクを楽しみ、少し汗ばんだあとは地元の温泉群の中でも最も由緒のある元湯でゆったりと湯治気分を味わい、最後は有名な「那須牛」を食べて帰る、というメニューを作った。
また茅ヶ崎の保養所では、海岸に出て「地引網」を引く体験をしたあと、その収穫物である新鮮な魚介類を料理して提供し、翌日は早朝から爽やかな沿海歩道を江ノ島まで「ウォーキング」し、江ノ島に到着したところで頂上に少し残雪を戴いた富士山をバックにデジカメで記念写真を撮って、その場でプリントしてお土産にしていただいた。

こういうメニューを全保養所で開発して展開した結果、右肩下がりであった宿泊利用者数は、私が退職したあとも含め少なくとも数年間は(最近の数字は知らされていない)、前年比110%以上のみごとな「V字回復」を果たしたのである。

私の知る限りでは、ソニーの「ウォークマン」が「モノよりコト」の「ビジネスモデル」の最初かもしれない。いつの世も、景気や環境の悪化を理由や言い訳にはせず、そこにこそビジネスチャンスがあるのではないかと、工夫と努力で「新しい需要」、「新しいビジネスモデル」を創り出す人はいるものだ、と改めて感じた次第である。

「ビジネスはモノよりコトが大切で新規需要もコトから始まる」

「モノよりもコトで需要を創り出す醍醐味知るは経験者のみ」
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2009/5/29

鯨飲馬食と見える化  短歌

「鯨飲馬食」・・・お恥ずかしい話だが、私は先日このことばを初めて知った。日経新聞の、あるコラム記事の中にそれを見つけたのである。

意味は、文字どおり、鯨のようにガブガブと飲み、馬のようにガツガツと食べることを指すらしい。実にわかりやすい表現だ、と何やら嬉しくさえなった。

もとより、日本語、なかんずく漢字は「表意文字」だから当たり前のことなのかもしれないが、私はこんなにわかりやすい表現には久しぶりに出会った気がした。

「見える化」が叫ばれて久しいが、こういう、わかりやすくて、人によってバラバラな印象を与えないような表現ができることばを用いることもまた、「見える化」の大切な要素なのかもしれない。だとすれば、漢字を常用するわが日本人は、「見える化」が最もやりやすく「見える化」に最も適した国民なのかもしれない。


「見える化を進めるコツは短くて明瞭な語と繰り返すこと」
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2009/5/28

防人(さきもり)の歌碑  短歌

先日ふらりと生駒山に登ってきた。山登りと言うと、おおげさに感じる人が多いのではないかと思われるが、私にとっては生駒山に登るということは、そんなに大したことではないのである。

前にも書いたように、生駒山はわが家の真ん前にあるから、わが家が登山口なのである。即ち、わが家からは電車やバスに乗ることなく、そのまま生駒山に向かって登り始めることができるのである。我が家から約1時間歩いたところにある「暗(くらがり)峠」には、「友悠遊(ゆうゆうゆう)」という、昔ふうに言えば茶店がある。その茶店についてはまた後日述べるが、山頂へはそこから約20分で到着できる。
因みに、わが家からは右周りでも左周りでも、生駒山頂まで約1時間半、山頂からわが家までも約1時間半の計3時間コースである。

何度も通っていた道ではあったが、先月、暗峠から少し奈良側へ降ったところに、万葉の歌碑があることに気づいた。それは下野国(しもつけのくに)から赴任して来た防人(さきもり)の、望郷の歌であった。

「難波門(なにはと)を漕ぎ出てみれば神さぶる生駒高嶺に雲そたなびく」という歌であり、揮毫は万葉研究の第一人者の犬養孝・大阪大学名誉教授であった。

こういう史跡や、僧行基の墓も、我が家からすぐ近くにあるのが、私の自慢と誇りである。

私の好きな生駒山へも、それが目の前にあるからこそ、朝起きて天候と体調がよければそのまま登山開始というわけである。これぞ、この地を終いの住家と決めた所以にほかならない。


「目の前の生駒の山のありがたさまるでわが家のお抱へ庭かな」

「朝起きて天気よければわが家から山に登れる気分は最高」

  万葉の歌碑の一つ(防人の歌)
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タグ: 生駒山 万葉集 防人

2009/5/26

わが家のチャッピー  短歌

わが家の愛犬の名前はチャッピーと言い、誕生日は1999年11月9日であり、年令は9才、生まれてすぐの1999年12月からわが家の一員である。

犬種は、フランスが原産地のパビヨンである。パビヨンの特徴は小さな体格のわりに長くて、耳から垂れる毛髪である。

しかしながら、わが家のチャッピーは髪の毛が短い。だが決して突然変異というわけではない。実は、チャッピーがまだ小さいころ、節子さんが「あら、ちょっと伸びすぎて邪魔だから散髪しましょう」と、気持ち良くチョキチョキ刈り込んでしまったのである。

ところが、人間の頭髪のようにまた伸びてくると思っていたら、一向に伸びてこない。心配してペット店で聞いてみたら、「ああ、その毛は一旦切ったらもう生えてはきませんよ」との回答。

節子さんは顔面蒼白になったが、もうあとの祭りであった。

かくしてわが家のチャッピーは、血統書付きにもかかわらず、正式にパピヨンとは呼びにくく、「パピヨン風」とあいなった次第である。

責任を感じたのか、その後の節子さんのチャッピーの可愛がりようは、異常なくらいである。

「パピヨンの髪切り取りしわが妻はお詫びか過度に世話焼きいたり」

「パピヨンはどこか愁ひの顔見せりそのわけ知れど手出せぬ吾は」
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