1/29(土)に新橋にある劇場「海」にオペラ座の怪人を観に行ってきました。楽しみにしていた劇団四季のオペラ座の公演、初めてみてから八年ぶり。幕があがったとき感動のあまり涙が出そうになってしまいました。そして幕が下がるときにはもう本当に大泣きで顔がグシャグシャになってしまいました。(苦笑)
本当に本当に大好きなこの公演。なぜこんなに感動してしまうのか、大好きなのか?それはドラマの中にある謎と同じく永遠に分らない謎のようです。
舞台を観に行くとロビーでは休憩中の幕間、終演後、主に若い女の子達が目を輝かせて友達達と話の花を咲かせていました。私のように一回目の観劇でこのオペラ座の怪人の虜になった彼女達。
「あの集団で歌っているところ、なんて歌っているか分らなくて気になるのよねー」「カルロッタはなんで手紙が来てぶじょくされたって怒っているの?」
「だからクリスティーヌはラウルのことが好きだから怪人にキスをしたのよ。あなたのことは愛せないってことを分らせるために..で怪人はそんなキスをされて身の程を知ってショックを受けたから二人に帰れって言うの」それを聞いて私の思っている永遠のナゾが疼いてしまいました。
そう、私も最初はそう思ったのよー。でもなんかすっきりしないの!
私も彼女達を同じように最初は歌詞の分らない輪唱にどんどん惹かれてCDを買って、歌詞カードを読み、空で覚えるほど歌詞とセリフを覚えて頭で繰り返すたびにふと全編に繰り返し仕掛けられているようなナゾが浮かび出てきてしまったのです。自分の中で..
クリスティーヌは誰を愛していたのか?
最大のナゾはクリスティーヌの歌う「今、見せてあげる女心」のところ、怪人にまさにキスをするこのシーンです。
何が女心なの?醜い顔のあなたに恐れも知らずキスすることが出来る彼女の勇気?
私(クリスティーヌ)はラウルを愛している。あなた(怪人)が私(クリスティーヌ)を愛しているのなら私を幸せにすることがあなたの愛でしょう?あなたがラウルを殺してもあなたが愛を得ることは出来ない..ということでしょうか。
最初父を亡くしてその面影を慕うクリスティーヌは音楽の先生(ミュージックオブエンジェル)にその面影を重ねてなぜか恐れつつも不思議と惹かれている。
かたや偶然出会った幼馴染のオペラ座のパトロン、シャニュイー子爵ラウルには、ただオペラ座で起こった殺人事件への恐怖から自分を守って、必要として欲しいとまるで愛ではなく保護者になって欲しいとだけいうように言う。
クリスティーヌの愛や恋、女心がまるで見えない。まるでお人形のように..。
さあ、音楽の先生と幼馴染の貴族どちらかに彼女の真実の愛があるのか..とまさに話が確信にせまる前に起こる事件の数々は彼女の生々しい女心が現れる前にそれをヴェールで隠してしまった。
まるで彼女の意思とは関係なく彼女の愛の物語が勝手に進んでいくようなそんな違和感のようなものを感じるのは私だけだろうか。
なぜ最初の主役の代役で歌を歌うときの歌詞が二人は別れを告げる..愛ははかなく夢か幻か..なのだろう?
なぜ最初のオークションで物語中では若く金の力もあるラウルが老人!で登場する必要があるのか、なぜラウルが亡き人(クリスティーヌ)を懐かしむ様子に普通に故人に対する想い以上の悲壮感を感じてしまうのか。
私のうがったものの見方から考えるとこの物語はいろんなものが隠喩されてロイドウェーバーの男心の叫びなんじゃないか..?と思うようになってきていろいろな妄想が広がっていく。
若い女に思いを寄せるもはや昔の影もなき侘しい男、自分がいくら愛しても女は若く力のある男に心変わりをしていくものだ。
または自分が掌中の玉のよう大事に育てた娘がいつの日か成長して、どこの馬の骨とも知れぬ若い男に見も心も捧げてしまう..自分(男)の恩(愛)も躊躇無く捨てられて..
そしてかつては自分もその若い男であったのだと..すべての思いを心のワイングラスに満たしそのグラスを揺らしながらワインに沈む滓をそっと眺めている夕日に思いの影を落としている一人の男
そんな幻想が頭に浮かぶ。
女は男の作り出した偶像、見せられたのは女心ではなく男心。
そして終末(ラスト)..自ら消えていく男(ファントム)は思いのたけをありったけ込めて歌う。
♪わが愛は終わりぬ..夜の調べと共に..
オペラ座の怪人、その甘い歌声が観た人を魅了し虜にする。
その愛に哀しみにまた酔い、涙を流さずにはいられなかった。
今回もまた深まった謎、これからもまた答えを探しに..まるで亡霊(=ファントム)のように彷徨うことになりそうだ。