中国遼寧省大連で生きるおっさん

〜 「若者」もすなる「ブログ」というものを「おっさん」もしてみんとてするなり  一人の名も無きおっさんが、浅学菲才ながらも、自分の言葉と写真で、毎回一生懸命書いている大連ブログでございます 〜

 

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中国人の物事に対する思考過程を考える(1)

今日は当ブログカテゴリー『私論「中国人」と「支那人」』シリーズの一つとして、「中国人の物事に対する思考過程」というものについて考えてみたいと思います。

 

まずは我々日本人(世界の人々?!)から見て中国人理解の最も厄介になっている点、いや(諸悪の?!)原点ですね、「中華思想」をまず考えます。この単語、現代風に「極端な愛国主義」と取っていただいても結構です。

 

ウィキペディアによれば『中華思想(ちゅうかしそう)とは、中国(中華)が世界の中心であり、その文化、思想が最も価値のあるものとし、漢民族以外の異民族を、「化外の民」として見下す選民思想の一種。華夷思想ともいう』とのことです。早い話が「中国(人)一番!」の考え方ですね。この考え方が中国では言葉を覚え、物心が付き始めた子供の頃から、両親・家族を通して、教育機関を通して、ウン億人全員の頭の中にインストールされていきます。そしていわゆる「面子」(私の日本語訳:「見栄」)へと成長、繋がります。

 

中国人にとってのこの「中華思想」(=「極端な愛国主義」)は、ちょっと古い流行語になりますが「定説」なんです。理屈や論理じゃないんです。もう一度言います。理屈や論理などは存在しないんです。考え直す、疑いを挟む余地など無いんです。中国人なら無条件に「中華思想」(=「極端な愛国主義」)を持つ、これは彼らにとって「太陽が東から昇り、西に沈む」や「人間には男と女の二種類しかいない」のと同じくらいの「常識」なのです。しかしこの「中華思想」(=「極端な愛国主義」)、中国人以外の外国人には分からない、理解できない。当たり前です。何故?論理もへったくれもなく、極端すぎ。現状から見てもあまりにもかけ離れているからです。

 

人間にとって両親・家族の影響、初期教育(〜義務教育終了まで)の影響、というものは一人の人間が出来上がっていく上で人格形成、性格、考え方に大きな影響を及ぼします。子は親を真似、先生を真似、学校の同級生とは価値観、考え方を共有していきます。これは人間なら人種、民族問わず同じです。このようにして一人前の人間へとなっていくわけです。

 

そして人間は勉強、スポーツ、知恵、仕事など、何を「学ぶ」にしても「基礎・応用・発展」の道順を辿ります。人間死ぬまでこの道順は全てにおいて適用されます。「基礎」が分かって、初めて「応用」でき、そして「発展」に繋げられる。という事です。何事においてもです。ですから基礎というのはとても重要視されるのです。「基礎はしっかり、確実に、間違え・誤りの無いように」です。もし「基礎」に誤りが含まれれば「応用」にも誤りが含まれ、「発展」に誤りが含まれる。もし「基礎」が分からなければ「応用」も出来ないし、当然「発展」には繋げられない。「基礎→応用→発展」。このプロセスは「真の定説」(笑)なんですね。

 

もうお分かりでしょう。中国では物心が付いてから、つまり人間としての初期教育、つまり「基礎」の段階に「中華思想」(=「極端な愛国主義」)という「矛盾」を孕んだ考え方が入ってしまっているんですね。そしてそれを問答無用、唯一無二の「正論」としてしまっているのです。そして両親・家族を通して、教育機関を通して、「応用、発展」の道を歩ませているのです。

 「基礎=子供時代」に矛盾が入り込むと「応用=青年時代」にも矛盾が入り込み、「発展=一人前の大人」にも矛盾が入り込む。

 

この「中華思想」(=「極端な愛国主義」)が「基礎(!)」、ということがわからないとなかなか中国人の理解には繋がりません。

 

この「基礎」は彼ら「独自」のもので「矛盾」をはらんでおり、「論理が無い」。

このことを最後にもう一度再確認した上で、次回に続けます。

 

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投稿者:dalian4649

バスの中でスリ「事件」に遭遇する(4)

前回の続きです。

 

さて、この国の一番厄介な点が「言論不一致の日常化=嘘、矛盾の日常化」という点です。「嘘、矛盾」が当たり前のように、至る所に氾濫しており、このことに関して、罪悪感が「全く」無いので、結果的に正義、真実など無いのです。当然、ここで生活するには人民、外国人問わず、「真とは何か」を見抜く力が求められます。ですから誰もが「己」の、真実(「嘘・本当」、「偽物・本物」など)を見抜く「眼」というものを最も信頼します。この「己の眼」の絶対化は「自己中心主義」、いや大元である「中華思想」という考え方と繋がりがあります。これだけ「言論不一致の日常化=嘘、矛盾の日常化」の社会となると自分が一番正しいと信じる。いや信じ「ざるを得ない」のです。その上、「性善説」社会などは触れる機会も無いし、乏しいです。ですから人民、中国政府は自己主張が強いし、それを絶対視しています。それこそが当たり前(=常識)だと思っているのです。主張を曲げる(相手の主張=嘘、偽物・・・に妥協する)などということは頭の片隅にも、いや絶対に無いのです。

 

3、「協力しない、人助けしない」

正義感を出してはいけません。もしあなたがトラブルに遭遇、そしてそのトラブルの状況、現状を自分なりに冷静に判断し、その場の「劣勢、弱者(=被害者)」を助けたからといって、それは「あなた」という一個人の判断に過ぎないのです。別に評価されないし、感謝もされることが無い(少ない)という事です。これはまだ良いとして、運悪ければあなたが自分では、いや「人として」良かれと思って行動した決断が逆転。「クロ」と判断される事があります。

現在、中国では超格差(文盲、経済的・・・)社会、そして進行中、そして更なる加速化中、なだけに、「人は見た目で判断しろ」という鉄則があります。あなたが多少なりともお金を持っていると相手に判断されたら最後、助けてあげたはずの「劣勢、弱者(=被害者)」からも何と(!)裏切られ、「嘘方便」であなたが何と(!)犯人にすりかえられるのです。

また、真犯人は逃げてしまった、もうどうしようもない、お上も相手にしてくれないだろう、自分には頼る人もいない、じゃあこの「見知らぬ」親切な人を「嘘方便」で「悪」人に仕立てるか、このようなこの国の常識=「性悪説」を逆手に取った犯罪も少なくありません。相手が「日本人」のあなたならこの国では「悪人」ということになおさら説得力も増します。悲しい事ですが。

もちろん最近は人民もこの2例に関しては「学習済み」のようで、これに関しては実例が一つありましたので下記「参考」に載せておきます。

 

救急車を呼んであげようなどは以ての外です。この国は「拝金主義」であるという事は何度も言っている事ですが、救急車は有料です。また救急車が来ても、まず一番最初に救急隊員から確認される事は「金(救急車代&治療費)をちゃんと持っているか?」という事です。信じられない(笑)?!大連、いや中国でお世話になった(事故、怪我、病気)経験のある日本人はちゃんと知っています。見知らぬ人のために善意、いや「人として」救急車を呼んであげる。それはこの国の解釈ではこの見知らぬ人の世話を労力、金銭面などを最後まで「全て」請け負うということです。ですから多発する交通事故現場、喧嘩などの現場で人民は、例え相手が流血していようが、倒れていようが見ているだけ(=野次馬)というのが普通なんです。いや当たり前なんです。これまた悲しい事ですが。せめて「人として」手伝うのなら「電話番号非通知、嘘方便」でとりあえず救急車を呼んであげる。そのぐらいです。悠久の歴史を誇り、古代より偉大な人物を何人も輩出してきた中国。しかし今や「道徳」は崩壊、いや崩壊せざるを得ないというのが現状でしょうか。

 

ゲームの影響もあって日本でも広くお馴染み、中国の「四大名著」の一つ『三国志演義』を見てみましょう。

日本とは違い、魏の曹操は何故こちら大陸で人気があるか、その理由の一つに彼が青年時代につぶやいた言葉「我が人に背いても、人が我に背く事は許さない」という言葉が現在の中国の「現状、現実」にとても合致しているというのがあります。

また蜀の関羽も何故中国のみならず中華圏、いや世界中の中華街では神に祭り上げられるほど神格化され、人気があるかというと「義理堅く、信義に厚い」という中国云々の狭い枠にとらわれず「人間として」立派、そうありたい、いやあるべきだというのがその理由の一つです。現在の中国に、いや「人間として」の「理想」にとても相応しいというのがあります。

 

あなたがもし中国と何かしら関わりを持つなら今のこの中国社会、人、に「関羽型」、「曹操型」のどちらを当てはめますか?どちらも必要でしょう。ただ「理想」と「現実」この二点の理解、そして違いをしっかりと見極め、自分なりに分析し、処世術として生かす。これこそが国益、ビジネスの利益、そして自己の成長・安全・・・。「益」を求める者の必要最低限度の行動、「成功」への道だと思います。

 

「お人好し、いつでも笑顔で接する日本人」。日本人として、いや人間として、「正義、善意、義理、人情」を振りかざすのは結構ですが、それを中国に来てまで振りかざす、いや当てはめる、絶対視するのはいささか疑問です、そして危険です。良かれ悪かれ「現実主義」をモットーとする中国人は「理想」と「現実」の区別はしっかりと出来ています。江沢民の故郷(お膝元?!)で起きたこの事件(下記「参照」)も、「今の世の中、善人はバカをみる」と「圧倒的」に「現実」が支持、擁護されているようです

 

「郷に入っては郷に従え」

「敵を知り己を知らば百戦危うからず」

あなたは出来てますか?考えた事がありますか?他人に説明できますか?

 

この国の「郷」、それも「最小限基本編(4か条)」ぐらいはやはり再確認が必要ですね。

 

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参考:

若者の老婆心?転んだ老婦人抱き起こしたが、「やめとけ!」で手を離し…―江蘇省揚州市

 

 2008118日、江蘇省揚州市で前日に発生した事件を、同省南京市の「揚子晩報」が伝えた。
 今月17日早朝、73歳の女性が野菜市場の入り口付近で足を滑らせて転んでしまった。立ちあがろうにも、膝に力が入らず立ちあがれない。これを見ていた1人の若者が、駆け寄って助け起こそうとした時に、若者の連れの男が「手を離せよ!ばあさんがお前のせいで転んだなんて言い出したら、面倒だぜ!」と大声で叫んだため、若者はとっさに老婦人から手を離してしまった。
 もともと足に力が入らず、全体重を若者に預けていた彼女は、突然支えを失ったため勢いよく前方に倒れこんでしまった。彼女を病院へ運んだ家族の話では、1度目の転倒ではたいしたケガにもならなかったのに、2度目の転倒で大腿骨頭粉砕骨折のほかに足と手も骨折していたという。
 この事件に関し、中国のネット上では若者の行為をめぐって投票や書き込みが盛んに行われているが、「今の世の中、善人はバカをみる」と若者を援護する意見が圧倒的に多い。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080121-00000019-rcdc-cn

 

投稿者:dalian4649

バスの中でスリ「事件」に遭遇する(3)

前回の続きです。

 

前回中国における「郷」というものを再確認しました。「最小限基本編」ということでたったの4条に過ぎませんでしたが、重要な事なのでぜひ御理解下さい。

 

さてこの4条からどんな事が言えるか、これも以前のエントリー内容の繰り返しになってしまいますが、一言でまとめてみますと中国人は極めて「現実主義的」な思考方法をするという事です。それだけしかしないといっても過言ではありません。理想や希望、役に立たない、そんなものには一切興味を持たないし、思考過程にもハナから存在しません。「現実」とは一体何か、しっかり捉えています。また捉えようとするのです。分かりやすく言えば、基本的行動パターンは全て「損得勘定」によるというのがまず大前提なのです。

 

結局のところ、全ての源は「中華思想」に辿り着くのですが、前回御紹介した「郷」もあえて書けば、

 

1、性悪説、自己中心主義(人間誰でも自分が一番可愛い、他人など知らん!という「現実主義」的思考)

2、拝金主義(カネが無ければ何も手に入れられない、飯も食えない。カネがあれば全てが買える、手に入れられる。カネこそ全て幸せの源なりという「現実主義」的思考)

3、言動不一致(いつ何時、誰と、どんな理由で争っても悪いのは「あ!な!た!」=自分が一番可愛いという「現実主義」的思考)

 

となります。 

 

この「郷」が理解できれば取るべき行動は唯一つ。トラブル遭遇時は「目立たない、争わない、協力しない、人助けしない、一刻も早くその場から立ち去る(逃げる)、そして後は知らない」というのが一番良い対応策に思われます。

 

何故?

 

一つ一つ検証していきましょう。

 

1、「目立たない」

今回の私のパターンのように、現場から脱出不可能の場合、空気と変わらぬ存在でいるのが最上策です。中国語に不自由で、現状把握が出来ない場合はこれしかありません。幸いな事に口を開かず黙っていれば日本人は中国人と見分けがつきません。ですから口を開かず、黙って、何人かから成る中国人の集団の中に紛れていれば、まずストレートに「火の粉が降りかかってくる」事は無く、問題無くやり過ごせます。ポツンと一人で離れているのは逆に危険です。

 

2、「争わない」

「言い」争っても所詮無駄です。勝てません。相手は外国人である私達の言葉(中国語)の不完全を「突いて」きますし、「言動不一致=嘘の日常化」の「常識」でコテンパンにやられます。この国に「真実」など無いし、求められないのです。関係無いのですよ(怒)。ありとあらゆる「嘘」を駆使され、運が悪ければ被害者、加害者の逆転も珍しい事ではありません。一般中国人の日本人に対して持つイメージは未だ「悪」が強く、「悪者」が「悪い事」をするのは当たり前。おまけに「性悪説」の国ですから、「見知らぬあなた」、しかも「日本人の」あなたに対して無料で(笑)協力、味方になってくれる「あなたの見知らぬ」中国人などまず都市部にはいません。(下記「参考」参照)

「話し合いによる解決」(これまた笑)

中国は「民主主義国家」ではありません。こんな手段はそもそも「根本的に」ありませんよ。あるのは「絶対的なお上(=党)」の下す「絶対的な判断」だけです。

 

「暴力で」争ってもこれまた無駄です。相手は勝てそうに無いと見るや大勢の応援を呼びます。応援が呼べない時は「嘘」を駆使して周囲の見知らぬ「人民」を巧みに見方に付けます。「日本人=悪人」のあなたがふと気付いた時、大事(おおごと)になってしまった時、喧嘩の「真の」理由はこれまた巧みにすりかえられています。もちろん「全て悪い」のは「日本人であるあなた」です。「お上」の判断もそれに追随します。

と、まあこれはまだ「かわいい」事例でして、本当の暴力による喧嘩となったら日本と違い、必ず「とどめ」が刺されます。具体的に言えば相手が自分を追いかけてこられない状況にするということです。相手はあなたが動けなくなるように目や胸などの急所もためらわずに狙ってきます。そして疾風の如くその場から逃げます。それがこの国の「現実主義」思想に沿った「当たり前」の喧嘩の仕方です。「極東の一小国=東夷=日本」の考え方である「卑怯」や「武士の情け」、「タイマン」などは日本の「郷」に過ぎず、今や「アジアの大国!」である中国の人民はまず知らないし、知る必要もないし、知る由もありません。

 

長くなりました、次回に続きます。

 

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参考:

北京で日本人女性殴られ大ケガ「誰も助けてくれず」

 

北京の日本大使館によると、同市中心部の大通りで11日夜、帰宅途中の日本人女子留学生(30)が、男に鈍器のような物で頭部を殴られ携帯電話を奪われた。留学生は頭を20針縫う重傷。

 現場は近くにはショッピングセンターがあり日本人居住者も多い建国路の南側。大使館によると、留学生は30歳前後の男にいきなり背後から殴打された。携帯電話を要求されたので渡したが、パスポートなどの入ったバッグも出すよう求められ、拒否するとさらに数回殴られた。男は逃走した。

 留学生は通行人に救助を求めたが「助けは得られなかった」という。

http://sankei.jp.msn.com/world/china/080214/chn0802141856006-n1.htm

 

投稿者:dalian4649

バスの中でスリ「事件」に遭遇する(2)

前回の続きです。

 

このようなアクシデント遭遇時に私達日本人はどう対応するべきなのか。私の考えを書いてみたいと思います。何点かは当ブログカテゴリー『私論「中国人」と「支那人」』のエントリー内容と重複するかもしれません。御容赦下さい。

 

その前に「郷に入っては郷に従え」(中国語:「入郷随俗」)、まずはこちら中国の「郷」とは何か、「最小限基本編」の再確認が必要です。

「えっ?何で?!」

孫子も兵法で「敵を知り己を知らば百戦危うからず」と言ってますしね。(笑)

お付き合い下さい。

 

1、性悪説

「自分の知らない他人は全て悪人である」という基本的な考え方=一般常識です。日本人の持つ「性善説」とは全くの逆になります。従って中国では当然の如く家族、親族の結び付きが日本以上に強くなります。「知っている人」だからです。この考えが発展し、社会では「人脈=コネ」というものは財産に匹敵するも劣らない、非常に大切なものとなりました。つまり自分の周囲には「自分の知っている」者のみを置く、または求めるという事です。自分の知らない人間を近くに置くということは「自分を脅かすもの=被害、損害、恐怖」を身近に置くということであり、こちらでは有り得ないことになります。蛇足ながら日本人でこの考え方を踏襲、公言する方として田中真紀子元外務大臣が挙げられます。彼女は「人間には敵か、家族か、使用人の3種類しかいない」という人生観の持ち主だそうで、さすがは「日中国交回復を決断した偉大な政治家(中国評)」田中角栄元首相の娘さんです。面目躍如といったところですね。日本社会(政界)では今や「御役御免」、いや、干されちゃいましたが。

 

2、自己中心主義

地球は自分を中心に回っているという、「中華思想」から来る歴史と伝統ある考え方です。基本的に老若男女全てが持ち合わせていますが、中でも都市部に住む、文革世代(50歳代半ば〜)=教育機関の停止による無教養、改革開放以後世代(80年代半ば以降生まれ)=物質的な豊かさの訪れによる「我慢」の経験不足、の両世代はこの考えが強いように思われます。そしてこの考え方は現在の小皇帝世代で栄華を極めています。なお「自己」の解釈ですが、最大拡大解釈は「家族」までが限界で、「親族」でも役に立たない=自分(達)にとって「美味しくない」、「利用できない」、「役に立たない」と判断されれば「三行半」=「切り」ます。

 

3、拝金主義

お金こそが全てであるという極めて分かりやすい、現在主流となっている考え方です。物質的な豊かさだけを究極的に追求し、精神的な豊かさを無視した江沢民政権時代以降に急激に台頭、主流(一般常識)となりました。時代の現状にそぐわなくなった勝g小平の「先富論(先に豊かになれる人が豊かになり、豊かになった人は他の人も豊かになれるように助ける)」を時代に合うように(=後半部分の削除、無視)、また更に「上に政策有り、下に対策有り」という中国の「官民関係」を表す現状をもミックスさせた、「民間主流解釈」で、私は個人的にこれを「新約・勝g小平理論」と捉えています。

 

4、言動不一致

「嘘つきは泥棒の始まり」と考える日本に対して、「騙す奴ではなく騙される奴のほうが悪い」と考える中国の違いです。「中華思想」→「自己中心主義」→「騙される奴(相手!)が悪い」という「進化」過程を遂げ、現在では一般常識化したものと考えられます。そしてこの「基本」の解釈・浸透は「嘘の日常茶飯事」、「歪曲」、「隠蔽」、「偽物」、「詐欺」、「責任転嫁」、「朝令暮改」、「各種犯罪」、と様々な方面に形を変え、発展。昨今、留まる勢いを知らないのは皆様、御存知の通りです。

 

さて、以上の「郷(最小限基本編)」を復習したところで「アクシデント遭遇時に私達日本人が採るべき対応」を考えていきたいと思います。

 

次回に続きます。

 

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投稿者:dalian4649

バスの中でスリ「事件」に遭遇する(1)

始めに断っておきますが、スリ「事件」に遭遇したのであって、私自身がスリ「被害」に遭ったというわけではありません。誤解無きよう願います。

 

先日、23番バス(「大連理工大学東門」発→「大連外国語学院」行き)のバスに乗りました。時間は18時頃、通勤帰りで車内は満員です。途中、「和平広場」駅に差し掛かったところで突然、一人の男性乗客が車内で叫びました。「俺の財布が無い!!!」との事です。

 

私も大連生活が長くなりつつありますが、バス車内でこのような事件に遭遇するのは初めてです。この自称「被害者」は運転手に即座にバスを停車するように要求。運ちゃんは「被害者」の要求通り、路肩にバスを止めました。私としては事態の推移を興味津々、いやヒヤヒヤしながら見守るしかありません。満員のバスでは在りましたが、私はその時、たまたま席に座っていましたし、特に急いでいたわけでもないので、とにかく目立たぬようにという事だけを第一に考えていました。

 

さて、バスは停車し、「被害者」は大声で「この中に俺の財布を盗んだ奴がいる」と言い始めました。この「被害者」と口喧嘩を始める者、携帯電話やメールで外部と連絡し始める者、乗車口ドアを開けろと騒ぎ出す者、一切を無視して黙っている者など様々です。「被害者」は「犯人を見つけ出すまでは絶対に乗車口ドアを開けるな」と運ちゃんに要求。運ちゃんは素直に全て従っています。ザワザワとしている中、時間が過ぎていきます。

 

大きい荷物を持った学生風の女の子2人組が「このままでは駅の列車に間に合わない。降りて他のバスに乗り換える」と言い始めました。正論です。しかし被害者は運ちゃんにドアを開けさせません。女の子2人組はこの「被害者」に列車の切符を見せたり、必死になってこのバスからの「開放」を求めるも「被害者」は「仕方が無い」、「ダメだ」と拒絶です。運ちゃんも何一つしようとしません。更に時間は過ぎていきます。「被害者」は「全員の持ち物検査をさせろ」とますます図に乗ります。車内はついに「大」口喧嘩大会に発展しました。

 

もう埒が明かないと判断した乗客がいたのでしょうか、警察に通報した乗客がいたらしく、ここでやっと警察官が登場。私も「開放される」と思ったのも束の間、警察官はなんと車内に入ってきて事の成り行きを事情徴収し始めました。一人の警察官はポケットに手を突っ込んだまま聞いています。ここでキレた一人の客が「コイツの言っているのは全部嘘だ、ただ被害者を装って金を巻き上げようとしているだけだ」と言い始め、周りも「そうだ、そうだ」の大合唱。「精神病だろ」や「何故警察はこんな奴を街中に放置しているんだ」と逆に警察に責任転嫁、食って掛かる奴まで出始めました。

 

この段階まできてやっと警察はこの「被害者」を確保。パトカーへと連行し、バスの乗車口ドアは開放されました。多くの客がバスを乗り換えたり、タクシーを拾ったり、立ち去ったり、でとにかくこの場から去ります。この一部始終は約20分です。私的には今回は何も被害を受ける事はありませんでしたが、「初ケース」という事もあり、結構怖かったというのが正直な気持ちです。もしこのよう状況に実際に遭遇した時、私達日本人はどうしたら良いのでしょうか。

 

次回に続きます。

 

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投稿者:dalian4649
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