先々週の出張から戻って以来、いろいろな事が一気に動き、このところ忙しい日々が続いている。
香港は、このところ連日の雨。 台風の接近もあり、週末は特にひどかった。
そうこう言いながらも、夕方は脱兎の如くオフィスを出て北角の稽古へ行って来た。
基本技をいくつかの後、後半は、審査を控えての自由技。 ここで旧知のふかひれやホタテを扱う乾物問屋の社長に捕まってしまい、彼の自由技を受ける破目になってしまった。
自分には何をしても良いと思っている「社長」は、なにしろ力いっぱい、親の仇かと思うほど必死に立ち向かって来る。 あまり器用な人ではないので、技はかからず、かからなければ力いっぱいに押すタイプ。さらに関節を極める系の痛い技が好きなようでもある。
旧知の間柄でもあり、性格が良いのと、真剣に向かって来るので、腹も立たないが、ろくに知らない相手にこれだけ力まれれば、こっちもブチ切れてもおかしくないほどだ。 「社長」の真剣さに打たれ、なるべくなすがままに受けを取らせてもらったけれど、流石に途中であまりの無茶苦茶さと必死さに笑ってしまうこともあった。
結局、自分の稽古にはならなかったけれど、たまにはこういう日があってもいいだろう。
稽古の後で思ったのは、同じことをされても、相手や自分の受け取り方で、感覚は全く変わってくるということ。 かからない技を、さらに力で押されるのは、自分の最も嫌う行為でもある。 たぶん、他の相手であれば怒り心頭というケースもあるかも知れない。 それでも、自分より一回りも歳の大きい「社長」が、必死で立ち向かってくる態度には、真剣さも感じて腹も立たない。 もちろん、技量の差と普段の人となりも知っているということも理由の一つだろう。

先日読んだ仏教の本に、「雨の日に、晴れた日を思うから、苦痛となる。 雨の日には、雨の日の風情を味わう。」、「苦境の時に、良き日を思うのでは無く、その現状を受け止めて、その状況の中で生きる。」といった事が書かれていた。 同じ現象でも受け止め方で、状況はいくらでも変わる。
無いものねだりをせず、物事をネガティヴに受け取らない。 これだけで、日々の生活も大きく変わって来ることは確かだろう。 常にできることではないけれど。
もう一つ加えれば、やはりある本に書かれていた「今、目の前にあることに真剣に取り組んでいれば、次にすべきことは自ずからやって来る。」ということ。 他のことに気を取られたり、心ここに在らずということではなく、今、目の前にあることを集中してやる。 師範が言われた、「すべては、今、今、今の連続。」という言葉には、そういう意味も含まれていたのかも知れない。