夏の甲子園大会に伴なう長期ロード「死のロード」を終えて、阪神タイガースが甲子園へ戻って来た。
ロードの戦績は、10勝9負1分。 近年、ドームになった大阪球場が使えるとはいえ、他球団と比べて過酷な日程となるこのロードを、なんとか勝ち越しで終了することができた。
開幕から中日ドラゴンズの独走かと思われた今年のペナント レースは、パシフィック リーグとの交流戦でのドラゴンズのつまずきとは対照的に、タイガースが交流戦で波に乗り首位へと浮上した。 一方、データの不足からによるものだったのか、交流戦を不本意な成績で終えたドラゴンズもセントラルでの戦いで復活、1.5ゲーム差まで迫って来た。
ちょっと意外に感じていたのは、交流戦終了のころ一時は2位に5ゲーム以上の差をつけていたにもかかわらず、気の早いファンから「優勝」の声が聞かれなかったこと。
確かに昨年の岡田体制の実績から、今年はどうなのかという不安も有ったことは事実。 それでも今年のファンは実に慎重だなと感じてしまう。
多分そこには、「こんなに簡単に優勝してしまって良いのか?」という思いもあるのではないかと感じている。
思い起こせば、タイガースは本当に優勝できないチームだった。

昭和30年代の優勝については自分の記憶の中には無い。 それでも野球好きの父親と観るようになったプロ野球で、一番カッコ良く見えたのは縦じまのタイガースのユニフォームだった。 とりわけ鬼気迫るといった迫力で投げる村山、バッキーの両投手に魅了された。 そして江夏が田淵が掛布が入ってきたけれど、優勝には手が届かなかった。それでも60〜70年代はAクラスに留まっていた年が多かったと記憶する。
時代はジャイアンツのV9時代、とにかく当時の「巨人」は強かった。もちろん回りはほとんどジャイアンツ ファンだった。
忘れられないのは、76年。首位に居たタイガースは、後り3戦のうち1つでも勝てば優勝という局面に居た。 名古屋球場で苦しむタイガースの横を、次に甲子園で対戦するジャイアンツの選手を乗せた新幹線が通過したシーンは、今も克明に頭に浮かぶ。
この試合を投げたドラゴンズのピッチャーは星野仙一氏、「打ってくれと真ん中に投げるんだけれど、タイガースの選手はガチガチで凡打を繰り返した。」と後に語っていた。 後の2003年には、この「仙さん」のおかげでタイガースは復活の優勝を遂げるのだから「縁」というものは面白い。
この年、タイガースは最後の三連戦を三連敗して優勝を逸した。 本当にダメなチームだと心底思った。
そして85年、真弓、バース、掛布、岡田、佐野 、圧倒的迫力の新ダイナマイト打線による85年の吉田監督による優勝。 広田、長崎、長尾、他球団からの選手も活躍した。 神宮球場での悲願の優勝、常勝西武を破っての日本一にもなった。
常勝チームになるかと思われたこのチームも翌年は3位、そして最下位へと落ち、深刻な低迷の時代へと入った。
暗く、どうしようもない絶望感が続いた低迷期のチームを復活させたのは、「仙さん」だった。 今岡、赤星、藤本等の若手が成長、金本、伊良部、下柳、矢野等の補強も成功。
ペナントレースを序盤から快勝して優勝したけれど、それでも終盤は辛いゲームも多く経験した。

多分、タイガース ファンの中には、「こんなに簡単に優勝してしまっていいの?」という戸惑いが有るのだと思う。 今までの優勝は、苦節に耐え、苦しい戦いを制しての優勝だった。 そして優勝を味わうには、いずれも20年近い時間を耐えて来ている。 監督も若い岡田監督、豊富な経験が有るわけではない。
それでもこの位置にいるのは、間違いなく選手が成長したから。監督も去年とは別人のように変わった。
ホームへ戻って今日までの3日間は、甲子園での伝統の一戦、対ジャイアンツ三連戦。 これを2勝1敗と勝ち越して、首位決戦を迎え撃つ。
明後日30日からのドラゴンズとの直接対決三連戦は、非常に大きな山場となる。
ここでドラゴンズを叩ければ、いよいよ優勝を期待しても良い状況になるのかもしれない。 今年は球団創設70週年の節目の年、なんとか優勝で飾りたい。