2018/1/12

もう12日  健康

今年もよろしくお願いします。

今年の年明けは、いつもの年と違うものでした。
まず、喪中だったので年賀状がない。
しめ縄飾りも、鏡餅もない。
何よりも違ったのは、いつもの年は2日に私の実家に挨拶に行っていたのだけれど、今年は、実家行きは6日に変更。

12月はあまり実家に行けなかったので、久しぶりに母に会い、兄・姪っ子に会い、沢山話をしてきました。
その帰りの車から体調が・・・
寒気がするなぁ・・・喉も違和感があるかも。早めに寝ることにしよう。

ところがその晩、全身が痛い。関節が痛い。膝・背中・首・・・
隣にいた旦那様によると一晩中うんうん唸っていたそう。

全身の倦怠感、関節痛・・・これって・・・インフルエンザッていうやつやん。
でも、不思議なことに熱がない。
何度、測っても平熱。
微熱すらない。
それでも、身体がだるくて7日は一日寝ていました。


8日(月)のバドミントンは初打ちだから行きたいなぁと思っていたけれど、大事を取って休むことに。
この時は【大事を取って】と思うくらい、この後長引くとは思っていませんでした。
 10日(水)はもう一つのバドミントンサークルの年明け最初の練習日。私は当番で、シャトルやらスケジュールノートやら一式を預かっていました。休むのなら、誰かに届けないとみんながバドミントンをできない・・・旦那様が仕事がお休みなのは8日まで・・・車で送ってもらうなら今日しかない。
散々迷っているとなんだか熱が出てきた。
測ってみると38.5℃
結局、サークル仲間のおうちまで旦那様に車を出してもらって届けました。

その後、ホッとしたのか熱は39度近くまで。
頭は痛いし、背中は痛いし、ひざの関節は痛いし・・・


翌9日にすぐに内科にふらふらしながら行きました。
三連休明けなので内科も患者さんだらけ。
1時間半待って診察でした。
私の話を聞いて、熱を測って、喉を見て、「インフルエンザやろうね。念のため検査してみようかな」
ところが・・・・検査の結果は陰性
なんで????
発熱の時間から十分結果が出るはずの時間だったので、先生も「??あら??」

インフルエンザのお薬は出ずに、普通の風邪の薬をもらって帰りました。

10日は痛み止めのお薬が効いて、頭痛がなくなりました。

11日、やっと熱が微熱に下がり、久しぶりにリビングに行くと・・・
洗濯物の山、汚れたコップ食器の山。
これでも、次男坊が何回か食器洗いをしてくれたらしい。ありがとうありがとう。
ちょっと動くと息が切れる。

休み休み洗濯を3回、洗い物を片付けました。


12日やっと今日、熱が平熱に。動けるって幸せ。
こんなに寝込んだのは久しぶり。

もう12日になってるし・・・
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2017/12/21

父の思い出  つれづれ

最近、よく父のことを思い出している。
夢にも時々出演してくれたりしている。

納戸の蛍光灯がパチパチと点滅したり、スゥ〜〜〜と暗くなったりしていた。
納戸だから、長時間そこにいるわけではないので、我慢できないこともないのだけれど、納戸なので、昼も暗く電気があるほうが良いに決まっている。
蛍光灯を見ると、黒くなっているところがある。

電気屋さんで新しいものを購入して交換をした。
電気屋さんで買うためにサイズを確認した時、交換しているとき、そんなときに父のことを思い出す。
父はこういうことにまめな人だった。
たぶん、母は自分で蛍光灯を買ったり交換したことがないと思う。
「お父さん、洗面所の電気が暗くなってきたわ」「お父さん、玄関の電気、なんとかして。」母がそう伝えると翌日には直っていた(と思っているけれどもちろん、父も勤めていたころは、翌日ってことはなかったかもね)

一度、私の愛用していたクルクルドライヤーが、クルクルし過ぎてコードがねじれてしまい、そこからショートして火花がコードを走り、コンセントがパン!と燃えてしまったことがあった。
私はコードは燃えたことでパニクッたのと、家の大事なコンセントを壊してしまったことで落ち込んで学校に行った。
帰宅したら・・・・
その日、父は休みだったのかな?もう覚えていないけれど、父がすっかり綺麗にコンセントを直してくれていて尊敬したことがある。
どうやって直したんだろう?

電気関係のことは、たいていのことは修理してくれた。
大工仕事も好きだった。
犬小屋もニワトリのための大きな柵も、なんでも父の手作りだった。

お父さん、今更ながら凄い人だったなぁ。



昨夜のこと。
我が家の五郎丸君が、大切な仏壇の膳引き(お線香や花やおりんを置いている棚)を壊してしまった。
我が家に仏壇を移動してから、この膳引きがガタガタしているなぁとは思っていたのだけれど、仏壇だから、勝手に釘とかで修理しちゃだめかなと手を出さないでいたやつ。

こういうのも、父がいたらなぁ。パッと綺麗に直してくれただろうな・・・なんて考えていた。

ダメだダメだ、もう父はいない。

よし、私が直す!
グルーガン?釘?結局、仕上がりが綺麗な木工用ボンドにしました。

直しついでにお掃除もして、お仏壇は綺麗になったよ。
自己満足で、「神だ!(出来上がりが満足いくものだったので、すごい!ってかんじで)」とつぶやいたら、修理を見ていた次男坊も同時に「神!!」と言ったので、思わず笑ってしまいました。
お仏壇なのに、神って・・・


お父さんのことを思い出すのは寂しいからかな。
父の仏壇は実家にあって、我が家には写真を飾っています。そっとその写真の前にお線香をあげたよ。
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2017/12/5

一周忌  健康

12月3日の日曜日に父の一周忌をしました。

最近は母も少し落ち着いてきて、実家訪問も一週間に一度から、二週間から三週間に一度のペースになりました。
12月3日の週も「一周忌の準備があるでしょう?行こうか?」と言ったのだけれど、「お兄ちゃんが土曜日はお休みだから、来なくてもいい」と返事をもらっていました。

ところがその土曜日に兄の仕事が急に入り、朝7時過ぎに母から電話。
「お兄ちゃんが急に仕事で、出かけてしまったの。あなた、今日は来れない?」

あわてて、準備をして実家に行きました。
一周忌には私の家族とお坊さんしか来ないので、そんなに頑張って準備をしなくてよいのだけどね^_^;
気になると心配で夜も眠れなくなる母のこと。
気が済むように、付き合ってあげるか。

掃除をして、床に置いてある荷物を他の部屋に移動して・・・・
そんなことをしているうちに、「仏壇の飾り方はそれでいいのかしら?」
実家と私の家は宗派が違う。
宗派によって飾り方は違うから、私にはよくわからないのだけれど、そんな返事をすると母はどんどん不安になってしまうので、「うん、大丈夫。うちの仏壇はこうなっているよ。どうしても心配だったら、当日来てくださったお坊さんに『飾り方がわからないので、これでよいか見ていただけますか』って尋ねたらいいよ」。
と答えました。

休日に兄がいないだけで、不安になっている母。
年を取ったなぁ・・・と実感しました。

姪っ子も手伝ってくれて、なんとか仏間は綺麗に片付きました。


そして翌日の一周忌。
久しぶりに会う長男坊、次男坊に母は嬉しそう。
法要も無事に終わり、一緒にお昼ご飯を食べに行きました。
父が元気なときからよく行っていた中華料理屋さんなので、今でも、そこに行くと父がいないことが不思議になります。

そういえば、私も最近、父のことを思うと寂しく悲しくなります。
この季節だからかな。
去年の今頃から、父の容体はどんどん悪くなっていったから。
実家に向かう電車の車窓から景色が、冬枯れていくのを見ると、病室で辛そうにしていた父の姿を思い出し辛くなります。

父ともっといろんな話をしたかったなぁ。こんなこと、あんなこと、聞きたいことがあったなぁ。
もうすぐ、一年です。
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2017/11/2

子離れは難しい  次男坊

久しぶりに次男坊のこと。
大学生になっても、朝の起きた時の調子で2か月に一度は起きることができなくて、休んでしまう次男坊です。
大人になったら治るかな?なんて思っていた私は、いつまでも変わらない状態に少しがっかり。
次男坊の人生だもの、そんな体調とうまく付き合っていく方法を見つけるのも次男坊、と考えたいのだけど、なかなか・・・

昨日も、一度はいつもの時間(7時半)に起きたのだけど、トイレから出てきた顔を見て「あ、今日はアカン日」と伝わりました。
「アカン感じ?」ときくと
「うん、でも、今日は実習があって休むと留年になるから、遅刻していく」

遅刻していくなんて、高校生の時は絶対になかった。
ダメな日は休む、だったから、少しは成長したのかななんて期待をしてしまった。これが間違いの始まり。
期待をしてしまったから、ついつい口を出したくなる。

9時になって目覚ましが鳴ったのだけど、起きてこない。
どうする?
う〜〜〜〜〜〜〜〜んとイライラして我慢して、でも、やっぱり気になる。声をかけました。
「9時だよ。目覚まし鳴ったよ。留年でしょ?」
起きられない次男坊。

そうなんだよ、このパターン。
アカンやつやんね。
でも、止まらない私。
「どうするの?」「休むの?」

10時になっても起きない。
22歳の息子に、過保護だよね?

家にいても、どんどんエスカレートしそうな私のイライラ。少し早い時間だけど、バドミントンに行くことにしました。
行く途中も「電話して起こす?」
「いや、次男坊のこと、ほうっておこう」
「留年やで?親としてどうなの?」
「留年しても仕方ない。高い授業料だけど、そこで学んでもらうしかないよ」
いろいろ頭の中をグルグル考えていた。

でもね、バドミントンが始まるとすっかり忘れてました。
そこがバドミントンの好きなところの一つ。
子供たちが不登校の時も、バドミントンにどれだけ救われたことか。

練習が終わって家に帰る時、今度は「次男坊、家にいるんだろうな。顔を見たら、また私はねちねちと嫌味を言うんだろうな。嫌だなぁ。帰りたくないなぁ。」学校に行きたくなかった昔の子どもたちのように、私は家に帰りたくない気持ちでした。

晩御飯の買い物をして、ついでにちょっと雑貨屋さんやお洋服をウィンドーショッピング。
夕方家に帰ると・・・・誰もいませんでした。
どうやら、無事に起きれたみたい。

次男坊が帰宅してから「今日はどうだったの?」と聞くと、
お茶目な顔で「休むって思ったんやろう?ざんね〜〜ん。い・き・ま・し・た・よ!!ちゃんと目覚ましスマホと携帯と沢山かけて起きたもんね。」
そうだよね、もっとお母さんは君を信頼すべきだよね。反省。
たとえ、起きられなくて休んだとしても、それはそれで、学びの時間。そう思わないといけないんだろうな。

子供は確実に親離れをしつつあるのに、私はなかなか子離れができません。
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2017/9/28

山陰旅行  つれづれ

銀婚式のお祝いに、息子たちが旅行券をプレゼントしてくれました。
旅行券を使って何処に行く?
いろいろ悩んだのだけど、旦那様と意見が一致したのが「山陰」

私の両親は父が鳥取、母が島根の出身です。
中学生になるまでは、毎年の夏休みに鳥取の父の実家と島根の母の実家に2週間近くいっていました。
帰る頃にはすっかり島根の言葉が身について「何しちょーかね(何をしているの)」「あげだがぁ〜(そうだよね)」「そげそげ(そうそう)」なんて楽しく会話をしていました。

せっかく記念の旅行、観光旅行もよいけれど、父の実家のお墓参り(父の弟が跡を継いでいる)もしたいし、いつもの旅行とは違って、父の目線でまわってみたいなと思いました。
旦那様も同じ気持ちでいてくれたようでした。

いつも我が家の旅行は天候が荒れます。
大雨だったり、台風がついて来たり。
今回も週間予報では「雨」でした。
ところが!!!なんと晴れました。二日とも!!!滅多にないことですよ〜〜〜

初日は松江城。

松江城の前のお土産物屋さんにぶらっと立ち寄ると・・・なんだか呼ばれてる、呼ばれてる気がする!
見るとかわいいウサギさんのストラップでした。

ウサギは二種類。どっちにしようかな?
ついているパワーストーンは赤メノウ・緑メノウ・アメジスト・水晶・ローズクォーツ・・・・・いろいろ。
迷いだすと決められない。これかなぁ・・・?ちょっと旦那様にも聞いてみよう。
なんと同じウサギの同じパワーストーンを選びました!!!ちょっとびっくり。

選んだのはアメジスト。


可愛いピアスも沢山ありました。
パワーストーンの組み合わせが沢山あって、迷う、迷う。
これまた、旦那様にどれが好き?と聞くと同じものを選びました。私たち好みが一緒なのね。

こちらもメインの勾玉は赤メノウだけど、ゴールデンオーラ・ルチルクォーツとアメジストがついています。
お店の人がパワーストーンの説明をしてくれました。
「恋人・友人との絆を深める」のだそうです。
なるほど。

水木しげるロードでは妖怪さんが沢山。
っていうよりも、中国からの観光客が沢山!!
丁度この日に4600人乗りのフェリーが境港に着いたそうで、道いっぱいに中国の人・人・人。
中国語が大きな声で飛び交い、ここはどこの国?日本語を聞き分けるのが難しいほどでした。

その日は子供たちがプレゼントしてくれた日本海を目の前にしたホテルで一泊。
鳥取の従兄家族(お墓を守ってくれている)と一緒に晩御飯を食べ、楽しい時間を過ごしました。

翌日は父の実家のお墓参り。
お墓の中の祖父と祖母に「もうそちらで会っていると思うけれど、お父さんがそちらに行きました。同じお墓には入らないけれど、よろしくね」


松江に戻り、叔母(母の妹)とランチ。
この叔母と旦那様はとっても仲良し。
二人の価値観が似てる。
私は子供たちについつい「頑張れがんばれ!」って叱咤激励してしまうのだけど、旦那様と叔母は「大変だったねぇ」とまず受容するタイプ。なかなか真似ができない。

ランチだけでは時間が足らず、場所を変えてお茶までしちゃいました。


泊まったホテルで素敵な和柄のコーヒーカップに一目惚れをして、お土産兼銀婚式の記念にペアで買いました。
このカップでコーヒーを飲むたびに、この旅行を思い出すのかな。
楽しい、思い出深い旅でした。
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