帰国しての楽しみの一つは本屋で過ごす時間。
今回の帰国でも紀伊国屋で数時間を過ごした。
宮尾登美子と永井荷風を二冊ずつ棚から抜き取り、レジへ向かう途中で目に付いた平積みの本。
村上龍の「2days 4girls」、多分にその表紙とタイトルが目を引いた。
手にとって冒頭から数行を読んでみる、文体のリズムにすんなりと入って行けたので買ってみることにした。
村上龍の本は「限りなく透明なブルー」といくつかのエッセイや経済評を読んだくらい。
香港に居ると、日本的な情緒を感じさせる文章を読みたくなるけれど、手にした「2days 4girls」は、東京に居るときに読むにはフィットしているようにも感じた。
置かれている環境が、読もうとする文体にも多分に影響を与えるのだということを改めて認識もする。

内容は、人格の形成がいかになされるかということと、心理動向、そしてそれがいかに危ういものの上に構成されているかということを表現しているのかと受け取った。 エログロな部分も随所に登場するが、文学としては、それも有りかなと思う。
内容は、解ったような、真意を汲み取れていないような、しばらくして、また読んでみようかとも思わせる文章でもある。
雑誌のフロア全体を見て廻った後、必ず立ち寄るのはスポーツ、武術の本のあるフロア。
開祖の口伝をまとめた「武産合気」とDVDのついた現道主の「合気道」教本の購入を決め、さらに書棚をチェックすると「古武術と身体」(大宮司朗氏著作)という本を発見した。
江戸の武者絵をベースに赤いトーンでまとめられた装丁が素晴らしく、手にとって読んでみた。

冒頭には、「もはや、刀や槍などを持って戦う時代が過ぎ去った現代において、武術を学ぶことになにか意味があるのであろうか、」とあり、「武術は人間に心身の自在を得させる」という著者の見識が記されている。
さらには、中心と宇宙との繋がり、「我即宇宙」という植芝盛平合気道開祖の事例も取り上げられ、古流各派の見識、大東流の技法と宇宙との関係、さらに身体技法解説へと続く。
かつては、生存の術として重きがおかれた武術も、冒頭に記されているように、現代においては、その物理的機能を必要とする機会は、ほとんどありえない。
それでは、なぜ武術を志すのか、精神修行と一言で言ってしまうのは、たやすいけれど、自分も同様に中心(丹田)を作り、呼吸を使いながら技の動きを実践することで、自らが中心であること、言い換えれば自らの絶対性を感じ得て行くことが、もうひとつの道であると考える。
そして、心身一如、万物一体の境地に達したときに「我即宇宙」の境地に達せられるのだろう。 これはまさに「惟神の道」でもある。
稽古を初めてしばらくしたころ、船橋でご指導いただいたS先生から「自分たちは、中心を作る稽古をしているのです」と言われたことがある。
手足の動きではなく、中心からの技、個々の小宇宙である身体と自然の摂理とのかかわり、そのことを思えば、現代において武術を学ぶことの意味は、自ずと理解できてくると感じる。
本はまだ、冒頭を一読したあたりではあるけれど、読み進む内容が興味深い。
それにしても、この装丁の美しさには、日本の出版文化の芸術性を感じずにはいられない。