| 投稿者: のび太

作詞 : 上尾 耿輔/上尾 龍介
作曲 : 山田 昌弘


日本の新しき朝の光は
二つなき真理のもとに
 開け放たれたり
人類のたぐひなき知を愛するものよ
今こそ固く
 かひな組みて
澎湃と寄する東海の
 うしほの如く
高らかに 高らかに
我等が愛知大学の
 名を讃へよ

www.youtube.com/watch?v=WjtAvdVUrN8
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2016/2/2 | 投稿者: のび太

愛の戦士レインボーマン』という特撮作品があった。1972年10月6日から翌1973年9月28日まで、一年間放送されていたという。俺は1972年8月生まれだからこの作品が放映された時すでにこの世に生を享けていた。しかしわずか2ヶ月児である。リアルタイムでの記憶は当然、ない。しかし ♪インドの山奥で修行して〜 という主題歌はなぜかよく覚えている。

レインボーマンの主題歌「行けレインボーマン」は ♪インドの山奥で修行して〜 から始まり、 ♪ダイバダッタの魂やどし〜 と続く。ダイバダッタをご存知だろうか。「提婆達多」と書くこの人物は釈迦の従兄弟であり弟子でもあった人物である。そして提婆達多は後に釈迦を裏切り殺そうとした人物として知られているのである。

ウィキペディアによると提婆達多は三逆罪(@破和合僧:釈迦教団を出て分派活動を行った A出仏身血:山頂から大石を落として釈迦仏の足の指から出血させた B殺阿羅漢:釈迦仏を殺さんとしていた所を蓮華色比丘尼にとがめられ、彼女を鉄拳で殺した)という三つの罪を犯した後、自身の爪に毒を塗り釈迦を殺そうとして阿鼻地獄に堕ちた、とある。

つまりレインボーマンはそんな提婆達多の魂を宿しているという。どこが「愛の戦士」だというのか。

レインボーマンは知らなくてもレインボーマンの敵「死ね死ね団」の名前ぐらいは聞いたことがあるのではないだろうか。死ね死ね団は日本人を皆殺しにしようとする悪の組織である。荒唐無稽な、と思うかもしれないがアジア人が世界に災いをもたらすということを信じる黄禍論という思想が実際にあるそうでそれに基づいているとのことである。

黄禍論(おうかろん / こうかろん、独: Gelbe Gefahr、英語: Yellow Peril)とは、19世紀半ばから20世紀前半にかけてヨーロッパ・北アメリカ・オーストラリアなどの白人国家において現れた、黄色人種脅威論。人種差別の一種である。フランスでは1896年の時点でこの言葉の使用が確認されており、ドイツ帝国の皇帝ヴィルヘルム2世が広めた寓意画『ヨーロッパの諸国民よ、諸君らの最も神聖な宝を守れ』によって世界に流布した。日清戦争に勝利した日本に対して、ロシア・ドイツ・フランスが自らの三国干渉を正当化するために浴びせた人種差別政策で、続く日露戦争の日本勝利で欧州全体に広まった。

なるほど、黄禍論ね。しかしなぜ「シネシネダン」なのか。俺だったら自分が所属する団に「シネシネダン」とは絶対に名付けない。誰が人に死ね死ね団の団長をやっています、と名乗れるというのか。ようやく決まった息子の就職先が死ね死ね団、親はなんと思うのか。k○d風に「SSD」とでも名乗るつもりなのか。いずれにせよせっかくの黄禍論が台無しである。

その死ね死ね団と死闘を繰り広げるダイバダッタの魂を宿すレインボーマン。そのレインボーマンに変化(へんげ)する主人公・ヤマトタケシはアマチュアレスリングの選手であるという。アマレスというぐらいだから死ね死ね団員をレインボーマンは時に投げ飛ばし、時に押さえ込んでいたのだろう。実際にこのテレビ番組を見た記憶はないが、なんとものどかな戦いである。
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2016/1/29 | 投稿者: のび太

菊りんと思いで探しの旅に出た、というのは先日投稿した通り。昔話を語りながら縁の地を巡ったわけだが、その時ふと思い出したことがある。

ある日俺は原付で菊りんの下宿(コーポ倉久)へ行き、菊りんの車に乗り込んだ。行き先は天白のNTTである。料金滞納で電話を止められた菊りんはNTTに料金を持参するというのだ。当時菊りんの部屋は電気もガスも止められていて、水は?と聞くとそれはまだ止まっていないとのこと。ライフラインの中でも一番重要なのは水で、水を止められるというのはよっぽどのことやでー、うちはまだ大丈夫。と笑っていた。

NTTまでの道すがら、菊りんは自作の歌を吹き込んだカセットテープを聞かせてくれた。それは菊りんの幼馴染についての歌であったが旧友に贈る、などというものではなくただ節をつけた悪口といったものであった。このことは珍しく菊りんも覚えていて、あのテープ取っておけばよかった、と言っていた。

が、今時どこでカセットテープが聞けるというのか。
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2016/1/29 | 投稿者: のび太

俺はお酢が苦手だ。あまり好きではない、というとかなり高い確率で「嘘!?マヨネーズは?」と言われる。マヨネーズにもお酢が入ってるじゃない、と勝ち誇ったように言うのだ。俺が苦手としているのはあくまで「お酢」単体である。

確かにマヨネーズにはお酢が入っているかもしれないが、それはすでにお酢ではない。何が「嘘!?」だ、ほんとだよ!

お酢と同じように生姜もあまり好きではない。が、生姜焼きなどは好きで時々食したりする。薬味としての生姜には何ら含むところはない。苦手としているのは生姜単体なのだ。

ところが最近の健康志向の高まりで、ずばり生姜そのものを提供する生姜バーなるものがあるという話を聞いた。生姜をすりおろしたものをそのまま提供するのだという。テレビでその模様を見たがこれには「うげぇ〜」であった。そこまで極端ではないが生姜そのものを売りにした店が増えているという。

そんな一軒が俺の勤務先のすぐそばにオープンした。『金時酒場』という名のその店は、金時生姜なる生姜をメインとした料理を提供しているらしい。店名の下に英語で「Ginger」と書き入れるほどの力の入れようだ。

俺は普段あまり外食をしない。平日の昼間などはとっとと食って午後の始業まで昼寝でもしたいクチだ。が、外食が皆無というわけでもなく時折り外で昼食を取ることもある。俺はそういった飲食店の新規を開拓することはほとんどない。たいていは人に連れられて行って、気に入った店があればそこに通う。誰も連れて行ってくれる人がいなければひたすらにその店に通う。

そして食べるものもたいてい同じだ。Aという食べ物がある。それはうまい。そこへBという食べ物があることを知る。Aは確実にうまい。Bはうまそうに見えるがAほどうまいかどうかはわからない。滅多に行かない外食だからこそ乗るかそるかという危険な賭けはしない。確実にうまいAを食い続ける所以である。

そんな俺が『金時酒場』を訪ねてみたのにはわけがある。水曜日・木曜日と続けて外食をしなければならない日があった。水曜日、俺はいつもの習慣で行きつけの店(と言ってもCoCo壱番屋だがw)へと向かっていた。CoCo壱に行くのは久しぶりで、その道すがらにいつの間にか『金時酒場』がオープンしていたのだ。

ちょうど店員が看板を出しているところであった。頭に手ぬぐいを巻いたその姿はラーメン屋の店員のようであった。彼は俺を見て客と勘違いしたのだろう。俺も新しい店に気付き思わせぶりな視線を送っていたのかもしれない。

看板には金時生姜を使った生姜焼きや西京焼きのメニューが書いてある。彼は飛び切りの笑顔でいらっしゃいませ、と言った。

しかし俺はその時カレーのことで頭がいっぱいだったためスルーしてしまった。笑顔が落胆に変わる様というのはなかなか見ることが出来ない。彼はそんな風に少しだけ悲しげな顔をした。俺はカレーを食いつつも『金時酒場』のことを考えていた。

俺は、生姜自体は苦手だが生姜を使った料理が苦手というわけではない。彼は通り過ぎる俺を見て勘違いしてやしないだろうかと気になった。それで明日はひとつ『金時酒場』で昼飯を食ってやろうと決意した。

はっきり言って『金時酒場』の豚西京焼きはうまかった。金時生姜が売りといことで突き出しででた生姜の佃煮もおいしく頂いた。俺は生姜は苦手だが生姜を使った料理が苦手というわけじゃないことがこれでわかってもらえたと思う。しかし言いたいことはそれではない。

ランチについてきた 桜海老の味噌汁 、これがべらぼうにうまかったということをお伝えしたい。こういう時は写真を撮るものだが、そのことを思いついた時にはすでに食べ終わっていた。
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2016/1/27 | 投稿者: のび太

先日思うところがあり、菊りんを誘って思い出探しの旅に出かけた。朝9時半に現在の菊りんの住まいがある東区を出発、10時過ぎに塩釜口のかつて菊りんが住んでいた「コーポ倉久」に到着。

ここには様々な思い出があるが、特に思い出すのは菊りん宅で酒盛りをしていた時のこと。菊りんが酔ってギターをかき鳴らし大声で歌を歌っていたら近くにある精神病院の患者が外でうるさいと騒ぎ出した。菊りんは窓から身を乗り出して「お前がうるせーんだ!」と怒鳴り返したこと。

そんな思い出深い「コーポ倉久」だがすでに名称は変わっていた。

そこから一路旧愛大を目指す。浅田交差点のそばにある焼肉屋「かかし」は健在であったが俺が2年生のAUツアーの前日、カメ先輩が事故を起した「サークルK」(俺のかつてのバイト先でもある)はコインランドリーに変わっていた。

菊りん行き付けの「一平食堂」、廃墟然とした建物や看板は残っていたが営業している様子はない。米野木の「赤提灯」も跡形もなくなっていた。よくから揚げとご飯を買いに行っていた「デイリーストア」は普通の米屋に戻っていた。その真横を米野木へと続く新しい道が開通していた。

かつて愛大があった地に到着。入口にはフェンスが築かれていた。去年の3月から工事が着工しているという話だったがそんな様子はない。草木が生い茂ってまさに廃墟という感じであった。

黒笹駅に行ってみたが、そもそもこの駅を利用したことはあまりなく懐かしい感もなかった。整備された駅前が逆に寒々しい。黒笹神社に寄ろうと思っていたのだが忘れてしまいそのまま出発。

153広場の「スタミナ太郎」はびっくりドンキーに変わっていた。それから知る人ぞ知る東郷町白土のお好み焼き屋「ぽけっと」へ向かう。正確な場所は覚えていなかったがそれらしいところを適当に曲がったらそこにあってむしろそのことに驚いた。日曜日は定休日らしく店は開いていなかった。

かつて植田の川沿いにあった「あいうえお」は平針に移転していた。店構えも和洋折衷のオシャレーな感じになっていた。当然のことながら懐かしさは感じない。しかしそもそもこの日の目的は「あいうえお」で飯を食うということだったのでここで昼食をとる。

すでに手持ち無沙汰感で一杯だった。笹島の新校舎に三好校舎に掛かっていた愛大祭事務局の看板があると話したところ菊りんが食いついて、一路笹島を目指す。

途中ででか丸先輩のバイト先であった「エスニークス」の前を通った。この店は健在であった。しかし俺たちの行き付け、後輩Nのレシート隠滅事件、ウメ先輩を訪ねて沼津ツアー、磯ちゃん飲み会など様々なドラマのスタート地点となっていた原の「村さ来」、原村はなくなっていた。ちなみに「DOショップ」も、跡形もなくなっていた。

笹島校舎に到着。その日は他校の入学試験の日だったようで学生の姿はあまりなかった。試験期間中なのか、図書館は賑わっていた。サークル棟に入ろうと警備員(常駐!)に声を掛ける。卒業生ですが愛大祭事務局を訪ねてきました、というと「今日は学祭の学生さんは来てないよ」と取り付く島なし。

その時点で午後1時半過ぎ。もう手持ちのカードはないというと菊りんが車道校舎に行こう、という。それで車道校舎に行ってみたが何年も前に立て替えられて、ただでさえ縁が薄かった車道校舎がいよいよ縁遠くなっていた。結局外観だけを車内から眺めておしまい。

入学時から考えると四半世紀が過ぎていたことになる。核とも言うべき校舎はすでになく、まさしく想い出迷子の二人であった。

菊りん : チョー・ヨンピルかてー!
のび太 : ???
菊りん : 意味わかる?
のび太 : わからん
菊りん : 『想い出迷子』やて!

http://www.uta-net.com/movie/1101/
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