| 投稿者: のび太

作詞 : 上尾 耿輔/上尾 龍介
作曲 : 山田 昌弘


日本の新しき朝の光は
二つなき真理のもとに
 開け放たれたり
人類のたぐひなき知を愛するものよ
今こそ固く
 かひな組みて
澎湃と寄する東海の
 うしほの如く
高らかに 高らかに
我等が愛知大学の
 名を讃へよ

www.youtube.com/watch?v=WjtAvdVUrN8
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2017/7/14 | 投稿者: のび太

なんだか愛大祭が縁遠くなった気がする。卒業後二十数年も経って今さら何を、と思われるかもしれない。場所も移転してしまったし名前もささしま祭に変わってしまったのだから当たり前と言えば当たり前のことである。少し前に菊りんと思い出巡りの旅をしてみたが、当時を思い起こさせるようなものはもう何も残っていなかった。

それでも去年の愛大祭・・・ ささしま祭、にはららちゃんを連れて行った。朝の9時頃開場前に散歩を兼ねて校舎の周囲を歩いていたら、模擬店準備中の女子大生に取り囲まれてかわいいかわいいの大合唱。悪い気はしない。にやついていたら銀ジャンのスタッフが駆け寄ってきたのでまたかわいいかわいいかと思ったら冷たい声で一言、犬の立ち入りは禁止です、と言うから早々に退散した。

もう、まったくの“思い出迷子”である。

その日、というのは去年のささしま祭の日だが、愛知県内でもう一つ大学祭が開催されていた。ほとんどの人は知らないと思うが、愛知文教大学という取るに足らない五流大学が春日井市(小牧市か?)にある。春日井市と小牧市の境の山間部にひっそりと立つ学校である。以前から名前ぐらいは知っていたが、少し前に自転車で周囲を流している時に偶然見つけた。

予定よりも早く愛大を出る羽目になったので俺はふと思い出して、その文京祭に行ってみることにした。

ど田舎にひっそりとたたずむ学校。そこはなんとなく三好町の愛大を思わせるような立地であった。規模は三好町時代の名古屋校舎を二廻りほど小さくした程度。訪ねて行ったのは午後3時過ぎで、目玉企画であるフリーマーケットはほとんど撤収されていた。申し訳程度の模擬店と小さなステージ(南芝生広場のステージを三廻りほど小さくした貧弱なもの)があるだけの侘しい大学祭であった。一般の来場者はほとんどおらず、学生らしき外国人ばかりが目立つ会場ではあったが妙な活気が感じられた。

それはなんとなく俺に「愛大祭」を思い起こさせた。

人手が有り余った都会の巨大校舎のもとで行われる「イベント」に比べて手作り感に満ちた「大学祭」から懐かしい匂いを嗅ぎ取った俺はその貧弱なステージの前に並べられた椅子に腰掛けた。すると赤いスタジャンを着たスタッフが近寄ってきた。また犬は入場禁止とでも言うつもりかと思いきや、かわいいかわいいと連呼してくれた。

今年の11月、去年と同様にささしま祭と同じ日に開催されるかどうかは知らないが、俺は今年も文京祭に行くつもりでいる。

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2017/4/12 | 投稿者: のび太

05613−6−****

サークル会館1F 愛大祭事務局前の電話番号である。愛知大学名古屋校舎(笑)が移転してしまった今となっては当然別の誰かの電話番号になっていることだろう。

市外局番5桁はド田舎の証であった。かく言う日進の俺の実家の電話番号も5桁であった。

俺は今、月に何回かみよし市の得意先へファックスを送る。得意先からファックスが送られてきてそれに対して返信をするのだが、先方からのファックスには毎回カバーレターがついていて、そこに返信先のファックス番号が記載されている。そこには

0561−3*−****

4桁で記載されている。

「三好町」のくせに生意気だぞと、俺は毎回

05613−*−****

と入力している。
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2017/4/6 | 投稿者: のび太

この4月、我が社に聖徳学園大卒の新入社員がやってきた。

聖徳学園大?

と首を傾げる方も 岐阜教育大学 と言えば「あぁ」と思い出すかもしれない。

そう、あの人の、3日だけの母校である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%90%E9%98%9C%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%AD%A6%E5%9C%92%E5%A4%A7%E5%AD%A6

俺と菊りん、おやぢは大学3年の最後のビラ配りにこの岐阜教育大学に行った。が、ビラを配ろうにも学生の姿はほとんどなく、学食で飯を食おうにも開店前。閑散とした学内で呆然とたたずんでいた。

結局最初にして最後の、同期連れ立ってのビラ配りはただ単に岐阜くんだりまで行っただけで終わってしまった。

前投稿では愛産大への旅について書いたが、その時のメンバーは菊りん、はっさくと俺の三人であった。そして岐阜教育大学へのビラ配りは菊りん、おやぢと俺の三人である。

たった四人の同期であるが、なぜか勢揃いすることが少なかった世代であった。
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2017/3/24 | 投稿者: のび太

先日久し振りに国道1号線を豊橋方面から岡崎に向かって走る機会があった。

俺が大学4年生の時、俺は菊りん・はっさくと三人で一台の車に便乗して新歓合宿に向かっていた。春の昼下がり、国道1号線を豊橋方面へ走っていると左手に愛知産業大学が見えてきた。

寄って行こうぜ、と運転者が言った時にはすでにハンドルが切られており嫌も応もなく俺たちは愛産大へ行った。

どうということはない田舎の大学であった。休みだったのか、学内は閑散として見るべきところもなく俺たちは愛産大を後にした。

国道1号線の信号は押しボタンもないのに異常に長く、痺れを切らした運転者は独自の判断で発進したことが思い出される。

その、いかにも田舎然としていた愛産大前に今「道の駅」が出来ていて当時と比べてその周囲は信じられないほどに発展していた。

行き交う車もほとんどなく、変わらない信号にいらいらしていた交差点には巨大かつ立派な横断歩道が出来て交通量も多い。とても自己判断で勝手に進入出来るような道ではなくなっていた。

20年という歳月の長さを感じたひと時であった。

そういえば20年前のあの日。その数ヵ月後に同じメンバー、同じ車で俺たちは沼津を目指していた。ウメ先輩に会うために。
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