2008/6/27

銅山越え  

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2008年6月1日(日)晴れ 
6人で銅山峰(1294m)と、隣の西山に登りました。(UPが遅くなりました。)


日浦登山口から渓谷沿いに約280年の銅山の歴史(遺跡)をたどりながら登っていきました。
道筋には数々の昔を忍ばす建物、遺構、生活の跡が見られます。

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銅山最初の歓喜抗
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七合目付近の蘭塔場跡
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八合目付近の牛車道をぼちぼちと・・・
昔は牛がこの道を鉱石を積んで通ったそうです。
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頂上、銅山峰(1294m)
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頂上に咲き乱れているツガザクラの群生。
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中央の山、西山。
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西山の頂上にて昼食(12時52分)これより下山。
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帰りはルートを少し変え、ダイヤモンド水まで下りてきました。(2時45分)
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あと30分くらい歩くと登山口です。
天候に恵まれ、とても気持ちのいい山歩きでした。

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別子銅山
1690年(元禄3年)に発見され、翌年から1973年(昭和48年)まで280年間にわたり70万トンの銅を産出し、世界一の産銅量を誇り、日本の貿易や近代化に寄与した。
採鉱は海抜1000m以上の険しい山中(旧別子山村)、坑道は全長700km、また最深部は海抜−1000mにも及んだ。

銅山で栄えた旧別子山村は一時は人口12000人を越え、明治中期には、愛媛県内では松山市に次ぐ町になり、病院、学校、劇場、迎賓館などが順次整備されました。
しかし、採鉱の中心が新居浜側に移るにつれて人口は激減し、現在は270人に満たない静かな山村に戻っていきました。


※ダイヤモンド水
ボーリング調査の時、80メートル地下での水脈から出てきた水。
その時、ドリルの先につけられているダイヤモンドの矢尻が折れ取り残されたことから、この名前がつけられた。
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2008/7/5  23:09

投稿者:eiji55

たくごんさん、いつもコメント、ありがとうございます。
来週は天気が良ければ愛大小屋に泊まって石鎚山を目指そうかと思っています。
仕事や天気の都合で思い通りにはなかなかいきませんが、たまに登る山の空気や見晴らし、達成感は何物にも代えられません。
本当に一度一緒に山登りしたいですね。

2008/7/4  14:24

投稿者:たくごん

久々にのぞくと、いろんな場所へ行かれてるので、びっくり!ほんとにエンジョイされてますね…山好きならではの、山歩き。頂上では達成感があり、何とも言えない気持ちになるのでしょうね。いろんな植物との出会いも、貴重な体験…ほんと、至福の時間を過ごされていて、羨ましい限りです。

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